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2.5畳ボンビーガールから大逆転した人生ストーリーを大公開【後編】

👇前編はこちら

👇 わたしの人生チャート

前編からの続きです。


30万円を持って家出・上京


高校時代に毎日働いたアルバイト代。
そろそろ上京の計画を立てようと思った時、通帳をみるとほとんどお金が入っていないことに気づきます。「え、、、なんで、、、」

母親に訊ねると、母が借金返済のために使ったと言います。
あまりにも軽々しく言われ、もう家族を信頼する気持ちはなくなりました。

借金を膨らませる父親には、「女の子なんだから、身体を売ってくれば俺より稼げる」と言われました。自分が心から安心できて信頼できる居場所は、家族にはありませんでした。

それでも、13個離れた弟は元気に育ち、明るくわたしに接してくれました。
わたしを必要としてくれた弟のおかげで、がんばってこれたのも事実です。

そんな自分の子供のように面倒をみた弟と離れることが、1番さみしかったです。

母の日に書いてくれた、この絵は今でも宝物です。

弟と一緒に住めるくらいに、東京でがんばろう!と思いました。

生活のために夜の仕事をするも、ヤ○ザに追われる


本当は昼間仕事をしたかったですが、東京での1人暮らしではどう計算しても足りず、夜の仕事をはじめました。

しかし、最初働いたお店が妙な感じはしていましたが、ヤ○ザが経営していることを知り、案の定辞めたいと伝えても辞めさせてくれず、詳細は割愛しますが、家まで来るなど追われるようになりました。

そのため、急遽引っ越しをして、夜の仕事場で会ったお姉さんと一緒に暮らすことになりました。

お金を貯めて、出っ歯をなおす!2.5畳生活→銀座・六本木デビュー


昼間はアパレル店員、夜はキャバ嬢、アパレル店員の仕事がないときは、朝キャバなど、ほとんど白目を剥きながら働いていました😂

この頃には、一緒に暮らしていたお姉さんの元を離れましたが、
2.5畳でオンボロな家に住んでいました。(お風呂の窓はバリバリに割れて、テープで止められているし、隣の人のうめき声が聞こえるくらいヤバかった….)

そして貯めたお金で1番のコンプレックスだった、出っ歯をなおしました。

そしてその後、二重埋没。

そこから、銀座・六本木と夜の仕事のステージアップをしました。
やっと自分が理想としていた世界に近づいたと感じたときでした。

出会った人と起業するも、精神科に通う日々


憧れの華やかな世界。
毎週末は、タワーマンションでのホームパーティー。
有名な経営者たちとの食事やお酒。

毎日、狂ったように飲んでいました。
そして、自分でもパーティーを主催してみよう!と思い、副業レベルからはじめてみました。当時の港区女子はよくやっていましたが、パーティーの企画はそこそこいいお小遣いになり、定期的にやるようになりました。

ある時知人の紹介で、ある男性に出会います。
その男性に、起業をすすめられパーティーからイベント事業をはじめるようになりました。

300人以上の規模で主催をしたとき

ただ、個人でパーティーをしていたときは自分のペースでできましたが、
彼は毎週のように強制的に開催をします。

集客はほとんどがわたしで、彼はわたしに好意を持っていって、他の男性と楽しく会話をするとそれがイベント直前だとしても急に連絡が途絶えたりと、精神的に追い詰められている状態でした。

「仕事しなきゃ、みんなの前で笑顔でいなきゃ、
でも心がつらい、、、」

こんな状態で、精神科に通うようになりました。
精神安定剤を飲みながら、イベントや仕事をしている状態で、一緒にお酒も飲んでいたことで精神は日に日におかしくなっていきました。

そして、わたしもわたしで彼に依存をしてしまっていて
離れるに離れられない状態となりました。

飛び降り、DV・モラハラ


離れたいのに離れられない。
友人に相談しても「依存してるあなたが悪いよね?」と言われ、この自分でも分からないもどかしさや苦しみを誰にも理解されない。

「ああ、そっか全部わたしが悪いんだ」

ある時、限界を超え気が狂ってしまい
彼といるときに刃物をもって、ベランダの外に出ました。
「私と別れないなら、ここから飛び降ります」

幸い、下にいた人たちの声で気を取り戻し、飛び降りず
彼は「もう苦しめない」と謝りましたが、DV・モラハラの典型的なパターンで同じことを繰り返します。

警察の方やイベントで出会った人から、「目を覚ましたほうがいい」と言われ、救われました。

最後は、髪を引っ張られ引きずり回されましたが、周りの協力もあり、距離を取ることで依存から離れることができました。


<一人旅>カンボジアや被災地でのボランティア


精神的に疲れて、イベント事業はやめて、一人旅に出ました。
そして、カンボジアや被災地でのボランティアに積極的に参加しました。

そうだ、わたしが起業したかったのは、
こんなわたしでも社会貢献できることをしたかったからだと改めて気づきました。


節約女子として雑誌に紹介される


以前のような派手な生活は卒業し、
知人の会社を手伝いながら、節約ブログや女性のコミュニティサイトを運営しました。

そして某有名雑誌で企画トップの見開きでご紹介いただきました🙏

「0円留学」というセブ島での留学にも行きましたが、これもいい思い出です😌

そして、マイルを貯めて0円で旅行というのを実現させました。

韓国で美容整形・骨切りをして、フル整形をする


出っ歯と二重埋没をしたものの、口ゴボで横顔は猿のような顔でした。
自分の人生をより良くするために、本格的な美容整形を考えました。

そのため渡韓。はじめての韓国での整形は骨切りでした。

骨切りのことはこちらのブログに書いていますが、1ヶ月近く流動食の生活でした。


手術後

その後、鼻・目と整形をして見た目をアップグレードさせました。

見た目をより良くしたら、人生イージーモードに


言葉選ばず、率直に書きますが、
見た目を良くしたら、男性に貢がれるようになりました。
いわゆる「チヤホヤ」されるようになりました。

良い男性と出会い、人生がとても楽しいと感じました。

しかし、こんなことはいつまでも続かないだろうという現実的な不安もありました。

実際、結婚前提でお付き合いした人は、会長クラスで船も車も持っていて高級ホテルの人も毎回挨拶にくるなどすごくVIPな方だったのですが、
男尊女卑な性格でまったく合わず、喧嘩も絶えませんでした。

結局、見た目が良くなったことで、どんなに周りの反応が変わっても
自分が自立していなければ意味がありません。

この場で正直に言うと、相手のいい人生に乗っかろうという下心があった自分がいて、自分に悔しくなりました。

SNSを本格的に始めて、いま。


元々SNSのアカウントを持っていましたが、イベント事業の痛い経験から、もう自分を出すのはやめようと思っていました。

ですが、美容整形をしたときのあの不安・怖さ、
韓国という場で、当時ほとんど情報がないことに悩んでいて、朝までずっと調べていた自分がいて、これから整形を考えている人のために少しでも役立つようにわたしの経験を発信しようと思いました。

そして1年以内に1万フォロワー達成。


その中で、たくさんの美容整形や韓国美容のご相談をいただきました。

中には、ブログから辿り着いて連絡を取るためにSNSのアカウントをつくってDMをくれた方、誰にも話していなかったことを打ち明けてくれた方もいらっしゃいました。

そして、あるフォロワーさんから「あくまさん。カウンセラー向いていますよ。実は病でメンタルカウセリングを受けているのですが、今までの中で1番話して元気になりました」と言ってくださいました。

その言葉がずっと残り、元々好きだった心理学・脳科学をより勉強したく、スクールに通い、2024年7月にコーチの認定試験に合格しました🙏


ここまで紆余曲折ありました。
きっとこれからもあると思います。
また、思い悩んだり、苦しむこともあると思います。

ですが、これはわたしならでの人生ストーリーだと思い、楽しんでいこうと思いますし、わたしができることを1歩づつ自分なりにやっていきたいと思っています。

ここまでお読みいただき、ありがとうございました!


"わたしの経験が誰かの役に立つなら"
その気持ちですべて行動してきました。

悩みやモヤモヤがあったら一緒に考えていきましょう😌
"話す"ということは"手放す"こと🕊

セッションについてはこちらをご覧ください👇



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