優しさを受け取れなくても誰も悪くない

前回投稿した内容を少し深掘りしたような、そんな話になるかもしれません。

NHKで大人プリキュア というアニメがあり、いきものがかりの、ときめきという曲が主題歌でした。
これはすごく歌詞が深くて、子供にももちろん聞きやすいし、大人がまじまじと歌詞を見ると、おぉ…と思うような内容です。

特に好きなのが、世界を愛せなくても心が悪いんじゃない、というフレーズ。

人によって受け取り方は色々あると思います。
わたしが感じたのは…
同調圧力のような、みんなが良いって言ってるものを、本当は良いと思えなくて、自分だけみんなと感覚が違うのかな?という仲間外れのような不安や、良いと思うことができない価値観に対しての罪悪感、そう言った全てのマイナスの感情に対しての許しのようなものでした。

世界を愛さないといけないと思っている女の子、愛せない自分を責めなくてもいいよ、そのあなただけの感覚を持ち続けても良いよっていう励ましにも感じました。

わたしは、結婚して、親戚付き合いの深かった元夫の近しい親戚から、すごくウェルカムな対応を受けました。
みんな、わたしの名前にちゃん付けして、親しみを持って接してくれました。
わたしはコミュ障ではないものの、そんなふうに接することができる親戚たちを単純にすごいなぁと思ってました。

わたしよりも先に嫁や婿に来た先人がたくさんいたと言うのもあるのかもしれないですが。

最初は漠然と不安だったので、歓迎される雰囲気にありがたいと思いました。
でも、慣れてくると、やっぱり気を利かせないといけない空気感はひしひしと感じて、チャキチャキ動けない人間なので、年に数回の親戚との集まりはすごく苦痛でした。

それとは別に、みんな仲良し、フレンドリーな親戚の人たちに対して、なんとなく居心地の悪さを感じるようになりました。
その感情を言語化できるようになったのは離婚してからのことで、それを今綴っているのですが、違和感ってなかなか原因がわからないのです。
特にその渦中は。

自分に要因があるのか、相手なのか、全体の環境なのか、どこが問題なのか、当時のわたしはわからなかった。

こうしないといけない、という考え方があると、それが邪魔して、もやもやの本質がわからなくなります。

世界を愛せなくても心が悪いんじゃない、と気づけた女の子は、世界を愛さないといけないと思ってた考え方から抜け出せたからこそ、心が悪いんじゃないと気づけたのだと思います。

わたしも、親戚付き合いをうまくしないといけないという不安があったからこそ、ウェルカムな雰囲気に安心したのです。
親戚付き合いをうまくしないといけない、というは思い込みです。でも、そのときは思い込みだと気づかなかった。そうしないといけない、そうあるべきだと思い込んでいたので。
優しくしてくれる人たちの優しさを、だんだんと素直に受け取れなくなって、違和感を覚え始める自分がダメな人間のような気がしていました。

でも、優しさをくれる周りが悪いわけでも、自分がダメでもなかった。

話をあえて抽象的にすると、与えられる環境や、物事を、全て受け取る必要はないと思います。
第三者に羨ましがられるようなことでも、自分自身が嫌だなとか、要らないなと思うことは、受け取らなくてもいいのじゃないでしょうか。
ありがとう、でもそれは今のわたしには要らないわ、というくらいのスタンスでいられたら、もっと生きやすくなると思うのです。

わたしは、心の奥の奥底では元夫の親戚付き合いは内心どうでもいいと思ってました。
わたしがわたしらしく振る舞って(もちろん好き勝手するわけではなく、わたしなりに気を遣って動いたとしても)、あの子気が利かないね、と思われても別にいいやと思ってたのです。
変に媚びることもできないし、わたしにもやる術の限界はある、人並み以下だ。
みんな、親戚メンバーの中で新参者のわたしに優しくしてくれるし、優しさ自体には感謝するけど、うまく仲間に入れなくても仕方がないや、ってほんとは開き直ってました。

でも、それを良しとしてくれない元夫だったので、うまく仲間に入って欲しいし(自分の嫁はできる嫁のほうがいい)、周りの人は受け入れてくれているのだから、わたし自身が仲間に入る努力をちゃんとしてね、という感じです。
別に親戚に嫌われてもいいやんって、それに近いことをわたしが言ったことはあるのですが(具体的なリアルなエピソードも一つあります)、元夫にはそれが通用しなかったので、わたしも気持ちに蓋をしてしまいました。
元夫の価値観が正しいのだと思ってしまったので、自分が悪いのかな、なんてモヤモヤしてました。
モヤモヤするって結局、納得してないってこと。
今思えばの話です。

離婚したいと言った後、わたしを繋ぎ止めるために元夫は、親戚の集まりは嫌だったら行かなくていいと言いました。
なんだ、わかってるんじゃないか、と思って余計に気持ちが冷ややかになりました。

何でもかんでも自分勝手にするのがいいとは思わないです。
相手に合わせることが必要なことは日常大いにあるし、その程度を無理のない範囲で加減すればいいのです。
うまく適応できない時に、自分がダメだとか相手が悪いとか思う必要はないということ。
変に自己肯定しなくてもいい、これはわたしにはできないな、この価値観は譲れないのだな、という事実を認識するだけでいいのだと思います。

この感覚は多分、わたし自身も時々忘れがちなので、忘備録として見返そうと思います。
誰かの役に立てば幸いです。

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