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「夢叶え競争」に取り残された私の話

思い出話を忘れていく前に残しておこうと思う。

「何か」になりたかった幼稚園児の私

小さい頃から自分に自信がない、やりたいこともない人だった。「何か」になりたいと思いだしたのは、なんなら幼稚園時代だったと思う。

100点を取ったら褒められる、立派ない夢を話せば褒められる。そんな環境の幼稚園・小学校時代だったから、余計「何か」になりたかった。毎日違う夢を想像して、毎日「何か」になる自分を思い描いていた。

とりあえず「小説家」を目指した中学生の私

初めてちゃんと目指した夢は「小説家」。
初めてちゃんと諦めた夢も「小説家」だった。

「谷井、ずっと小説書いてるよな。芥川賞とか賞とか取れるわけないのにな」ってクラスメイトの陰口にムカついて、本気で1本小説を書いた。

それまでのルーズリーフで授業中に内職した小説じゃなくて、家族に隠れて早起きしてパソコンで小説を書いた。

書き上がったのに、私はコンテストに作品を出すことができなかった。
落選が怖くて、自分の作品にも自信がなくて、
書き上がったデータを静かに消した。

ゴミ箱も開いて、初めて全力をかけた作品を、自分の手で削除した。
本気を出しても「何か」にはなれないと自分を少し諦めた。

「活動家」のフリをした大学生の私

大学2年の冬、東京で行われた若い起業家の集まりにたまたま招待されて参加した。私は完全に場違いで、論点も何もわからず、ただただ愛想笑いをしていた。

「何をされてる方ですか?」って聞かれて
「クリエイター集めたコミュニティやってます」なんて、自分が当時やってた活動を100倍飛躍させた嘘をついた。

ずっと何かしているのに
何にもなれていない自分が恥ずかしくて
自分を誇れなくて嘘をついた自分が恥ずかしくて

帰りの新幹線はずっと泣いていた

「何か」になりたいのに何にもなれなかった。

「会社員」になった社会人の私

大学卒業のタイミングで「ちゃんとした大人になろう」と思った。

「夢は全部諦めよう、なりたいものもないし」
自分に言い聞かせながら上京した。

2年半、私は「優秀な会社員」になった。先輩方の想像を超えた成果と行動力を出す新人になった。

私は「夢叶え」を諦めていた。

「夢叶え競争」に取り残されていく私

25年間、なりたいものを探してきた。
中途半端な私は、何になる勇気もなかった。

周りはどんどん夢を叶えていく。いつもそうだ。
一緒に何か取り組んでいたメンバーは覚悟を決めて自分の夢を叶えていく。

小説に挿絵を描いてくれた友人はイラストレーターを目指した。
一緒に文化祭のダンスステージを作った友人は舞台の学校に進んだ。
あの時の起業家たちはメディアに取り上げられ、会社を大きくしている。
大学で一緒にプロジェクトをやったメンバーは会社をやめて独立した。

みんな、夢を叶えていく。
私は何も変わらないのに。

私はどんどん取り残されていく。

「夢」じゃなくて「主人公」を目指した私

いくつかの偶然が重なって、私の周りの環境が全て変わった。諦めていた私にきっかけが生まれた。

子育てをしたいと思っている私にとって
20代後半は挑戦のラストチャンスだった。

大きな「夢」を目指すんじゃなくて
自分の「なりたい姿」を目指してみることにした。

世間にある職業の中から、自分が叶えたい「夢」を探していた。それが私には合ってなかったんだと知った。

なりたい職業はないが「なりたい人」は明確に持っていた。

最後の挑戦を始めた私

「若者」と呼ばれる年齢で挑戦ができるのはこの数年が最後だ。

そんなに人生うまくいかないと思うし
別に本当は最後の挑戦じゃないと思う。

でも、25年間挑戦と諦めを繰り返してきた私は
「最後だ」と思わないともう始めるきっかけがなかった。

私は今までの全ての経験と時間を背負って
「2028年に東京ドームでイベントをやる」
「社会人になっても理想を叶えられる方法を探す」
という目標に挑戦する。

「諦めなければ夢は叶った」
あらゆる困難を超えてそう言う漫画の主人公たちに憧れてきた

そんな漫画みたいな一コマを
東京ドームの真ん中で迎えたい
そんな漫画みたいな一コマを
私の人生の中で経験したい

この夢が、どうか20代の間に叶っていますように。

明日の自分にプレッシャーをかけて、このnoteを締めようと思います。

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