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依存対象と会わないことの代償

毎日考えてる。
四六時中想ってる。
ずっと頭の中にいる。

それでも最近はなんだか落ち着いている。
私の依存対象である「あの人」としばらく会っていないからだろうか。

何を隠そう私は今、
依存症唯一の治療方法である「依存対象を絶つ」を実践中なのだ。

もちろん「一時的に」だ。
このまま一生絶つなんて、さらさら考えていない。
私は、私の依存対象と「共存」「共生」していく道を模索中なのだから。

こんなことお医者さんに言ったら、無理だからやめなさいって言われるのだろうか。
ちなみに私は無理だとは思っていない。
私なりに作戦だって色々考えてある。
だから私は専門機関には参りません。

話を戻そう!
私は今、依存症唯一の治療方法である「依存対象を絶つ」を一時的に実践中なのだ。
今は時期的に仕方がないのだ。
ただそれだけなのだ。

そして気が付けば、会わなくなってもう1ヵ月以上が経過していた。
そういえばあの人と出会ってから、1ヵ月以上会わないことなんてなかった。
これはある意味すごいぞ。
革命的だぞ。

そして自分でも意外なのだが、意外と大丈夫なのだ。
1ヵ月以上も会わないなんて、
ひらすら毎日泣きまくり、激しく求めて苦しくなることを覚悟していたのに、、、
禁断症状が、、出ない、、、???
「あの人」に会わない日々に慣れてきたのだろうか、、

ものごとが習慣化するのには『21日間』かかると聞いたことがある。
あの人に会わない日々、、
それが習慣化されつつあるのだろうか、、

ただ、別の弊害が出てきている。

なんとなく無感情な日々。
こころが空っぽなかんじ。
虚無感。

今までだったら嵐のように感情が波打ち、わんわん泣いてたところで、
ただぼーーーーーーーーーっとする。
たとえばひたすら天井を見つめ、ぼーーーーーーーーっとする。
ただそれだけ。

あの人のことが頭から離れないのは変わらない。
会いたい気持ちも変わらない。
ただ、渇望感、焦燥感、不安な気持ちをあまり感じない。
今までみたいに大きくふくらんでこない。
エネルギーを使わない分、感情が爆発してしまうよりは疲れない。

ただ、なんにもない。
たのしくもかなしくもない。
あの人がいない毎日をただやり過ごしてる。
そんなかんじ。

一見何でもないように見えるこっちの方が案外重症だったりするのかもしれない。
これは自分が壊れないための防衛本能なのだろうか。
わからないけど、とりあえず表面的には平穏。


元々は一人で過ごす時間が何よりも大好きだった。
誰にも邪魔されずに一人時間を満喫するのが至福の時だった。

そしてあの人に出会った。
私はあっという間に、
「あの人がいないと幸せを感じることができない」
そんな風になってしまった。
ほんとに驚くほどあっという間に、、。

それを本当に実感したのはつい最近。
その瞬間、恐怖を感じた。

「依存症になるとそういう脳になる」

それは知識として見聞きして分かっていたつもりだった。
でも、知識や情報として理解していることと、実感として感じることは全くの別物だった。

私も、もうとっくに「そういう脳」になってしまっていたんだ、、、

私はもうこの先二度と、ひとりの時間をこころから楽しむことはできないのだろうか。
「あの人」がいないと、こころからしあわせを感じることはできないのだろうか。

かなしくて泣いた。
やっぱり泣くのは疲れる。
できることなら泣きたくない。
でも我慢はしない。
泣きたい時は泣く。


あの人は私に、他の人からは決して得られない安らぎやしあわせな時間をくれる。

でも私は、ひとりでいても、安らぎやしあわせを感じたい。
あの人に出会う前の私みたいに、ひとりの時間もまた楽しめるようになりたい。

ひとりでいても、
ふたりでいても、
しあわせ。

自分のしあわせを誰かに委ねたくない。
私は自分で自分をしあわせにしたい。
あの人がいないことで「マイナス」にしたくない。
あの人がそばにいればさらに「プラス」になる。

そんな私で、
あの人に会いに行きたいんだ。
これからもずっと。

こんな私を受け入れてくれるとうれしいな。


あの人はもう起きたかな。

パンが焼けた香りがする。
平穏な朝。

24.7.23

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