20200104「うさぎは追えないふるさと」
うさぎを追いかけたことはないし小鮒を釣り上げたこともないけれど、かなへびくらいは追いかけてアメリカザリガニはしょっちゅう釣り上げていた。
中学校は田んぼのど真ん中にあって、タワマンはないけど団地があって、都会じゃないけど都会までのアクセスは抜群なところ、それが私のふるさと、埼玉県の某市である。
祖父母も同じ埼玉県にいて、何なら我が家の住んでいた市よりも大きくて知名度があるところに住んでいた。小学生の頃、お盆やお正月に合わせて「おじいちゃんおばあちゃんの家に帰る!」と言っていた友人を、少し羨ましく思ったりした。「岩手のばあちゃんが、」「岡山のおじいちゃんが、」友人たちのおじいちゃんとおばあちゃんには地名が頭についていたけれど、私は早々に「父方」「母方」という言葉を駆使するようになった。どっちも埼玉のじいちゃんばあちゃんだから。
私が住んでいた街は、昭和の最後から平成初期くらいに整備されたところで、町内会の知らないじいさん曰く、「ここはもともとは湿地でね」湿地って何だ。どうりで昨今のスコールみたいな雨ですぐに水没するわけだ。
おかげさまで、特に目立った特徴があるような街でもなくて、電車は急行が止まるけれど、両隣の各駅停車しか止まらない街の方が多分歴史は古くて、碁盤の目のように駅前から道路が縦横綺麗に整備されているような街だった。京都は碁盤の目のようになっているのよと中学の社会の先生が教えてくれたけれど、うちの街だってそうだい。規模は100分の1くらいかもだけど。
だからと言ったら同じ街で生まれ育って愛着を持っている人たちに怒られそうだけれど、とにかくあまり愛着というものはわかないまま成人してそしてついにそこを離れることになった。
離れて初めて、「ふるさと」を意識するようになった。
慣れ親しんだ関東を離れて、秋田に赴任した。
聞きなれない東北訛りは、最初こそぶっきらぼうに聞こえるけれど、どういうわけか皆心根が優しい。初対面の人は、私が県外からきたひよっこであることはわかっているからなのか、「どこから来たのか」「埼玉には何があるのか」「埼玉の観光地のおすすめは何か」聞いてくれた。
びっくりするほど出てこなかった。
そりゃもう、びっっっっっくりするほど。
初期の埼玉のご当地キティ、何だかご存知だろうか。
球に乗った動物のサイの着ぐるみを来たキティちゃんである。
いやさすがに他に何かあったろ!深谷ねぎとか川越のサツマイモとか何か!
と思うけれど、下仁田ねぎと鹿児島のサツマイモには勝てなかったのだろうか?いやいやならば学校の給食の牛乳パックに一体何パターンあるんだってくらい描かれてたコバトンとか。ゆるキャラ(?)との共演はだめなのか?
理由は知らないが、とにかくそんなサーカス団にでも入団したかのようなキティちゃんが「埼玉版」として発売されていて、当時少しショックを受けたのを覚えている。あれはどういう戦略だったんですか教えてサンリオの偉い人。
今でこそ埼玉にだってたくさん良いところがあって、ぜひ皆さん来てくださいねと多少はプレゼン出来るようになったけれど、「竿灯まつり」「なまはげ」「きりたんぽ」「稲庭うどん」「乳頭温泉」「男鹿温泉」「田沢湖」「白神山地」たくさんの知名度が高いおすすめスポットを持つ秋田県の皆さんに、咄嗟におすすめ出来ることが思い浮かばなかった。
そして、これまで埼玉県民であることに特に執着も愛着もなかった私が、初めて「私のふるさと=埼玉県」であると意識した瞬間だった。
たぶん、いや絶対に、私は埼玉よりも秋田の方が詳しい。何なら秋田県民より詳しい自信がある。嘘です。でもそれくらいたくさんのところに行ったし連れていってもらったし郷土史を学んだりした。
埼玉県立博物館には行ったことがないけれど(あるっけ?)、秋田県立博物館は楽しすぎて5回くらいひとりで行った。菅江真澄コーナーが最高だからぜひ行ってくれ。
各地に散らばる同期からも、秋田を離れた今の職場の同僚にも、「ほんと秋田好きだね」と言われる。好きだ。第2のふるさとだ。心のふるさとだ。前の職場では私があまりに秋田の話をするから、結構な人たちに秋田の出身だと勘違いされていた。自称、秋田のモンペである。
でもやっぱり、「ふるさとはどこですか?」と聞かれたら、私は埼玉ですと答える。
思い浮かべるのは、あの、イオンと田んぼと住宅地しかなかった、埼玉の小さな街だ。
冬の天気が良い日は、マンションのベランダから富士山が見えるくらい平野でそこまで高い建物もなくて、道がまっすぐに伸びた街。
秋田で、「一番近くに見える山は何か」と聞かれたから、「富士山」だと答えたら、おっちゃんは笑いながら「嘘つけ」と言った。嘘じゃない。我が家からは、山は富士山しか見えない。隣どころか隣の隣の県の日本一の山。それくらい、何というか、何も無かった。何も無かったけど、何でもある東京がすぐ近くにあって、利便性は抜群に良かった。新潟出身のばあちゃん曰く、「子どもを育てる環境も食べ物も水も全部新潟の方が良かったけど、この便利さはそれら全てを犠牲にしても手放せない」くらいには便利な埼玉県。
ふるさと、と言われて人はどこを思い浮かべるのだろうか。
きっと、多くは生まれ育った場所なんだろう。
じゃあ引っ越しを繰り返した人が思い浮かべるふるさとは?
生まれ育った街が嫌いな人にとってもそこがふるさとなんだろうか?
私にとってのふるさとは、大多数と同じで生まれ育った場所だけれど、「土地」よりは「人」のような気がする。
目立った特徴がなくても、伝統がなくても、先進的な何かがなくても、私が時間を共にした人たちがたくさんいるところ。
「土地の思い出」は秋田の方が遥かに多くて、埼玉には思い入れのある場所はあんまりない。
うさぎを追う山もないし、小鮒を釣る川もない。
目を閉じて思い浮かぶ風景は、とてもありふれていて、今住んでいる東京の街にも似たような光景が広がっている。
それでも、ただいま、と言えば、おかえり、と答えてくれる家族や親戚、友人がいる、この地が、確かに私のふるさとだ。
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