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「義理などは夢にも思うことなかれ、身をしばらるるものなり」と坂本龍馬は言うけど…

現代の言葉に直すと、
「義理とかは考えるなよ。めんどいだけやぞ。」
ってことかなと思います。

まぁおっしゃる通りかなと思います。

義理、人情、感情その他。
そういうものは基本的に面倒です。
感情がなければどれだけ合理的な選択ができて、
合理的に生きれて、効率的な働きができて、
楽になることでしょうか。

僕もバッターボックスで
緊張という純情な感情を1/3も感じなければ
今頃メジャーリーグで大谷とバッテリー組んでました。
あ、僕ファーストでしたわ。
ビッグフラーイ!!オオタニサーーン!!!

話を戻して、
義理ってものは強制力を持ってるんですよ。

極道とかまさにそうですよね義理の世界。
YAKUZAです。龍が如くね。

こんなに世話見てもらってるんやから
義理を返さんかい!!
既に与えてやったんやから
その分何かしらを返さんかいってことですよね。

これってどうなんでしょ?
僕はあんまり賛成はできないかなと。

大変な痛みや苦しみを乗り越えて
子供を出産したお母さんが子供に対して
あの時の痛みの分返さんかい!と
凄んだりしないんですよ。

これが愛情だと思います。
よく言う話ではGiver(与える人)です。

YAKUZAの主張はTaker(奪う人)の主張。
まぁそういう稼業なので業界的に
それが正しいものなのだと思います。

郷に入っては郷に従え。
ひろみによっては郷に従え。何言ってんの?

つまり業界には業界のお決まりがあるわけで、
そういう、義理こそ全て。的な業界もあれば
坂本龍馬が言いたかったのは、

なんでもかんでも義理を感じてたりすると
Takerにいいように言いくるめられて
奪い取られていく。

龍馬自身どこかでそんな経験を
したんじゃないでしょうか。

世の中には結構Takerがいるので
所謂OHITOYOSHIは搾取されることが多い。

そういう僕も、
生絞りグレープフルーツサワーの
グレープフルーツ以上に絞り込まれた時があって、
今ではいい思い出です。
濃厚なつば汁が出てたはずです。汚い語感。

なんせ坂本龍馬が言うように
義理なんてのは往々にして
自分を縛りつけてしまうもんなんです。

もちろん!
余裕があるときに義理を果たすのはいいことです。
余裕が出たからお世話になったあの人に。

でも自分が困窮してるとか、
余裕がないときは義理なんて忘れてください。

自分が海で溺れているときに他の溺れている人に
義理を果たす必要はないんです。
まずは自分が岸に上がることを考えましょう。

岸に上がって自分が大丈夫ってなれば
他の溺れている人を助けましょう。
その順番は義理を指標にしてもいいでしょう。

おそらく坂本龍馬が言っているのは
余裕がないくらいに大きなことを
成し遂げようと挑戦しているときは
義理なんて忘れろということでしょう。

僕も余裕がないときに義理を果たそうと
頑張っていたときには自分が追いつめられる感覚でした。

でも今になって余裕のある状態で
こんな記事を書いて誰に読まれなくても
別にいいか。1人でも読んで何か感じてくれれば。

って思いながらやってるほうが
与えられるものも良質ですし、幸福度も高いです。

まぁそんなものなんでしょう。
なのでもし余裕のない人が読んでるなら、
まずは自分の余裕。岸に上がることを一番に考えて、
上がってから義理を考えましょう。

自分を縛りすぎる意味はないってことです。

以上。
人生ハードモードの人って結構いるよね。



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