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U CAN'T SAY NO!を振り返ってみた件 Episode.Ⅲ

1999年の暮れ。
世間はミレニアムを迎えることで浮かれまくっていた。
そんな何かと騒がしい中、UCSNは極秘でレコーディングを開始。
なんせ20曲を1週間くらいで録音する無茶なスケジュール。
後にメンバー間で『地獄のレコーディング』と呼ばれる狂気の沙汰だ。

とはいえ四半世紀前の話。ほぼ覚えていない。
写真を撮る心の余裕もなかったのか、記録が残っていない。
とにかくしんどかった記憶はある。

ベース、ドラムのリズム隊は割と順調に終わった。
ギターのジェリーさんが凄いアレンジ、ギターソロをブチかます。
”DO THE SKA!!"のギター録りの時、「この曲わかんないからシュウちゃん弾いて」と、驚きのリレー。
元々ギタリストだし自分で作った曲なので特にアレンジもなくストレートなギターを弾く。インストなのに。
実はもう1曲”The System Becomes Fat”も同様の展開でシュウジが弾いている。なので急にギターが面白くないのはそういう理由だ。
普通のバンドならあり得ないけどUCSNでは通常運転。
この後もライブでジェリーさんが来られなくてシュウジがギターを弾くケースがあったりするのだ。自分がドラムボーカルをやることだってある。
とにかく事を成立させる為には何だってするのだ。

合間合間でボーカルの歌録り。
ボーカルも1曲が短いお陰で喉を潰すことなく順調に進む。
そもそもUCSNはボーカル録りに割く時間が極端に短い。
多少の失敗は見て見ぬ振り。なので歌詞を間違えたりしている。

ホーンはそれぞれ1管ずつ録音。これが地獄と言われる由縁だ。
サックスの江戸さんは難なくこなして行く。
トロンボーンのシュウジは苦戦しつつも着実に。
ただこの辺りでプロデューサー的立場のリョウジ社長の顔色が曇る。
トランペットのホマレ。緊張からか普段からか数曲終えると音が出ない。
遅々として進まないレコーディングに空気がピリつく。
焦れば焦るほど音が出ない。出ないことには録音できないし。

業を煮やしたリョウジ社長がついに動く(いや、怒ってはいなかったけど)
「ミッチー呼ぼうか?」
すぐさま泣きついた。「お願いします!」
すぐに駆けつけてくれたミッチーさん。ホマレにアドバイスを送り応援してくれる。優しい。好きだ。惚れた。勿論、リョウジ社長にもだ。
それでも進まないレコーディング。まだ曲は結構残っている。時間だけが過ぎていく。
最悪ミッチーさんに吹いてもらうことも話し合われた。

その時歴史が動いた。
「いや、オレ、吹きます」(ホマレ)
カッコイイ!いや、ちょっと待て、よく考えたらアルバムのレコーディングするのに音が出ないってダメだぞ。全然カッコ良くないぞ。
でも、その時は感覚が麻痺していた。
「おう!それでこそホマレだ!根性で頑張れ!」
ここからは熱血スポ根ドラマみたいにみんなで一丸となる。
そしてようやく地獄のレコーディングが終わった。

さて自分はと言うと、この過密スケジュールの中なのにオールナイトのDJイベントにDJとして参加しつつ、ホテルの客室清掃のバイトも休めなかった為、個人的にも地獄を迎えていた。
トイレで小をしていると便器が真っ赤に染まった。
人生初の血尿だった。

こうしてあの歴史的名盤『BACK TO THE 80's』が生まれたのだ。
『こんなの売れねぇよ』の陰口に反して結構売れた。
60%はTV-FREAKという『レーベルの力』、40%がCOQUETTISHのHIZDEさんの傑作『ジャケットの力』かも知れない。
しかし、売れたのだ。ビックリするくらい。
いや、そりゃーPOTSHOTとかGOING STEADYと比べたら微々たるものですよ。しかしね、西荻の片隅のさらにその片隅で愛を叫んでいた我々からしたら、とんでもない売れ方だったわけですよ。
苦労が報われた・・・血尿出して良かった。いや、良くはない、全然。

ということで、ここからUCSNの快進撃が始まる!
と同時に色々な事件が勃発するのですが、それはまた今度。

From AleJJandro Hiderowsky

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