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雑ジェンダー論

祖父母から電話がかかってきた。
正確に言うと、母の携帯を使った祖父母から。
いつも通りたいした用件はなくて、骨の具合は大丈夫なのとか、いつ帰省するのとか、そういう他愛もない内容だった。

話はそのままいつ結婚するのかという話に流れていく。
結婚のお祝い金がどんどん貯まっていく。ドレス姿を見る前におじいちゃんたちは死んじゃうよ。女の幸せは家庭に入って旦那さんを支えることだ、と。
これもいつものことで、こちらもいつもの通り適当にあいづちを打って受け流していたのだけれど、突然母が慌てたように通話を切った。

あらどうしたのかしらと首をかしげていると、すぐに母から連絡が来た。
「さっきはいやな思いをさせてごめん」という謝罪であった。

特にいやな思いをした覚えがないので戸惑った。
祖父母は90歳手前で、もうずいぶん色んなことがわからなくなってしまっている。
だから、誰も悪くないのだ。
それでも謝らないといけない母の気持ちを思った。

わたしは自分の人生に対してどこまでも自己中心的だ。みんなそうかもしれないけど。
とにかく良くも悪くも、やりたいことは誰になんと言われようとやってきた。逆に、自由に選べる中でやりたくないことはやってこなかったし、これからもそれは変わらない。
だから、他人からお前はこうあるべきだと与えられても、自分のことは自分で決めるしなぁ、としか思えないのだ。

押し付けたい人はやめろと言っても無差別に押し付けてくるので、こちらにも「うるせー!!!」と受け取らない自由がある。

いかにも女っぽい服を着るときは「私が」女っぽく観られたいからだし、それはわたしが選択したことなのだから。

母から謝られたことで、自分がとても自己中心的で、それがいかに自分の心の安定を守ってきたかを知った。
とはいえ、全員がこんなふうに図太く生きていけるわけではないから、あるべき論を人に言うべきではないよねと、肘の骨を折りながら考えるのであった。

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