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骨を折る

骨を折った。
こうやって文字を並べるとまるで慣用句のように見えるけれども、一切の比喩表現を持たないそのままの意味の「骨折」である。
正式には、左橈頸骨部骨折というそうだ。なんて読むんでしょうね。「橈」なんて漢字は初めて見たので久しぶりにIMEパッドを開いた。
わたしの肘は折れている。そう思うたびに、ふふと笑ってしまう。ここの骨折れてるんだって、ウケる。


椅子に立って高いところの作業をしているとき、近くでアフリカの民族音楽のようなアラームが轟いた。わたしの設定している"上司への体温報告忘れないでアラーム"である。
響き渡る軽快なボンゴを止めるべく焦って、足を滑らせた私はイスから転落した。
いい大人が爆音で転ぶ様子は、それはそれは周囲の人々の注目を集めた。声をかけられるたび、優しさが体に沁みていき、同時に恥ずかしさで体はどんどん小さくなっていった。
見ないで…そっとしておいて…これ以上スタッフを呼ばないで…アイスノンを差し入れないで…………ヤメテ……………………

交通事故に遭うとほとんどの日本人は「大丈夫です」と言ってしまうそうだ。
わたしも例に漏れず、蚊の鳴くような声で「ア…ハイ…ダイジョウブデス………」を狂ったように繰り返した。
痛みより恥の方が耐え難かった。

そのまま外出先で一日仕事をこなし、労災も下りるだろうし病院でも行っておくか、という軽いノリで整形外科を受診した。
医師からレントゲンを見せられても、いまいちピンと来なかったけれども、端的に骨折と告げられ、開いた口がふさがらなかった。
状況をのみこんで思わず笑ってしまい、なぜか医師も釣られ笑っていた。いやお前も笑うんかい。

そこそこ痛みはあったものの、骨折はもっと痛いのだと思っていた。
わたしはうまく骨を折ったようだ。こんなピンポイントな器用を持っていても人生になんの得もない。

それでも、病院に入る前は丸裸だった肘が、ほんの10分後には包帯ぐるぐる巻になっているのがコントみたいで愉快だった。

骨折生活も1週間を過ぎた。
大抵のことは片手でもこなせるけれど、唯一ひとりでできないのが"髪がむすぶ"ことだ。
サバンナのオスライオンのようなワイルドな出立ちで、古い映画を観る日々を送っている。

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