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日本語プロフィシェンシー研究学会10周年記念シンポジウム

日本語プロフィシェンシー研究学会10周年記念シンポジウム

会話分析で言われる「協働」を軸に、登壇者が話をする企画をしてみた。

会話は、話し手と聞き手との「協働」で作り上げられるものとすると、会話の最中に「聞き手」が何をしているのか、ということが問題になる。


とすると、「聞き手としての学習者」という視点が、教室内外で考えられてもよいだろうと思う。


そのような観点で、三井久美子氏(立命館)~立部文崇氏(徳山)~范一楠氏(環太平洋)~長谷川哲子氏(関西学院)~宇佐美まゆみ氏(国立国語研究所)~堤・閻(岡山、立命館)の順で組んだ。時間の関係で、堤・閻は予稿集のみの参加。


三井氏は、「不満語り」のデータにおいて、聞き手が同調しながら話が進んでいく様をとりあげた。


考えてみれば、我々は意見を言うときに、相手の顔色を見ながら話の先を常に計画し直している。相手が同調してくれれば、もっと話は先へ行くし、乗り気でないような素振りを見せられれば、話題を変えたりもする。


立部氏のデータも同じような現象を、終助詞「ね」から見る。音調にもよるだろうが、興味なさげに「ね」を付加して話されると、その話題自体が急速に萎む。まさに会話は協働なのである。

范氏のノダの研究では、話し手が発するノダが、聞き手を引き込もうとするときに持ち込まれている様を取り上げる。母語話者ではこの使用が目立つが、非母語話者ではこの使用があまり見られないということであった。ノダが用いられたあとの聞き手の行動に焦点を当てて調査してみるのもおもしろい。また、非母語話者の動画を見たが、ノダの不使用でそれほど魅力のない語りになっているわけではないと思われた。このあたりも問題になるか。


長谷川氏の発表は、アカデミックライティングにおける接続詞の使用と、読み手の評価について。会話において聞き手が会話をコントロールすることがあるのと同様、書き言葉においては評価者、あるいは読み手が書き手の書き方や書く内容をコントロールする側面があるだろう。教師として留意するべきことがあると思われる。そこに、接続詞の研究がどのように絡んでいくのか、展開が楽しみな研究である。


宇佐美氏のご発表は、自然な日本語の教授に向けた教材開発。どのような教科書にも、「自然な会話」から乖離したなんらかの加工が介入する。真に自然な教材は、本当の(authentic)会話を収録したものでしかあり得ないという点にはまったく同意する。また、本パネルの文脈で考えると、テキスト(作成者)と学習者の協働という視点で何か新たな知見が得られるのではないだろうか。


堤・閻の話は、「聞き手の理解度」に関するものである。特に、感情・評価を表す表現「何してるの!」(疑問文なのに、なぜか怒って聞こえる)などを、どの程度非母語話者が理解しているのかということについて、母語話者と非母語話者両方に調査をし、統計的に分析したものである。


以上の内容は、いずれ書籍化されて、皆さんの目に届く日があるのでまたご一読ください。


昨日は、ディスカッションに、コメンテーターのような形で参加し、上記のようなコメントを述べた。宇佐美氏の発表の部分(学習者と作成者の協働)は、この文章を書くにあたり加えた内容である。


その他、今回は10周年ということで、これまでプロフィシェンシー研究に携わった国内外の研究者が一堂に会し(オンライン)、二日間に渡ってこの10年間の進展を披露した。なかなか充実したものであったと思う。


言語学会と重なっていたのが残念。





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