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そこに理由はないだろう

ジェーンスー「生活は踊る」。2021年8月26日。

高校3年生からの相談。1年生のときに高校に行かなくなって留年した。理由は分からない。なんとなく行かなくなった。いまは受験勉強中だが、3ヶ月に一回くらい勉強に身が入らなくなる。浪人という選択肢はないので、頑張らなければならないのに身体が言うことをきかない。どうしたらいいだろう。


スーさんの答え。

・留年したことについては、理由が分からないなら理由を理解しておいた方がいい。

・勉強に身が入らないのは、「みんなそうだよ」。


このコーナー、好きで、ほぼ毎日聞いています。人にはそれぞれいろんな悩みがあるのだなぁと。そして、「人生の酸いも甘いもつまみ食い」のジェーンスーさんのアドバイスもとてもおもしろい。


上の2つのアドバイスには、それでも、明らかにご都合主義的な矛盾があるというか、そうか? と思うところがあります。


学校に行けなくなった理由は分からない、ということに対しては、「理由があるはずだから、それを分からないというのはだめだ。理由が何だったか考えた方がいい」とアドバイスをして、一方で、勉強に身が入らない理由は、「みんなそうだ」からそれを「標準装備」だとして理由なんかそこにない、理由を考える必要はない、とするのは、本当にそうか? と思ってしまう。


統一したアドバイスをするなら、「どちらにも理由はないよ」か、「どちらにも理由はあるはずだから考えろ」かだと思う。片方は「みんなそうだ」、片方は「君だけの問題だ」、という考え方は、結局、「普通であることを目指せ」と言っているように聞こえてしまうのです。


学校に行きたくなくなるのに、理由ってあるのだろうか。

「なんとなく」行きたくない、ということはままありそうな気がする。

なんか身体が動かない。なんかめんどくさい。なんか、なんか。


Thee Michelle Gun ElephantのGirl Friendという歌があって、歌詞がすごく好きなのですが、

「争いはどうして起こってしまうんだろう

そこに理由はないだろう そこに理由はないんだろう

殴りたいから殴るんだろう 殺したいから殺すんだろう」

というのです。

もちろん、この歌全体は平和を希求する歌なのですが、そこだけ聴くとめちゃめちゃ過激だなと思います。


しかし、言っていることには納得できるところがあって、

「何かするときに、いちいち理由なんかないんじゃね?」

と思うのです。


学校に行けなくなる(行かなくなる?)ということに、まあそれらしい理由を考えつくことはできるのかもしれないけれど、ないやろ、そんなもん。


むか~しむかし。高校生の頃。

2年生やったかな、土曜日に授業があって(我々の頃は土曜日に授業がありました。午前中だけ)、電車で学校に向かっていました。

その日は秋頃の、なんとなくのどかな青空の日だったように記憶しています。記憶なのでいい加減なもんです。春だったかもしれないし、真夏だったかもしれない。でも、傘は持っていなかったから、晴れていたんでしょう。


僕の家から高校に行くには、ある駅までJRで行って、そこからちっちゃな私鉄に乗り換える必要がありました。JRが、乗り換えの駅に着くちょっと前から、僕はなんとなくこのまま学校に行くのがめんどくさくなりました。


気がついたら、僕は7歳になるまで住んでいた町に来ていました。

全然覚えていない町をぶらぶら歩いて、それでも、あ、この家はセントバーナードがいたよ、とか、ここはきっと小さい頃に好きだった女の子のうちだなぁとか思いながら、半日過ごしました。

そして、何事もなかったかのように家に帰りました。電車に乗って。

多分学校から連絡があったでしょうね。親は何も言いませんでした。


いま考えても、なんでその日、学校に行きたくなかったのか、なんでその町に行ったのか、まったく思い出すことはできません。そもそも「なんで」などなかったのだと思います。

「そんなもん」です。多分、いろんなことは「そんなもん」であって、「そういうもの」ではないんです。


【今日のイラスト】

nu44さんから。ありがとうございます。

昔住んでいたその町は、電車の駅からちょっと上へ上へと上がっていくような坂を上りました。電車の線路が複数走っていて、祖母がよく電車を見に連れて行ってくれました。昭和でした。


【今日の一曲】

やっぱりここはこれかな。千葉ゆうすけさんのオフィシャルYouTubeのようでした。




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