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下に同じ!?〜日本語4

先日卒業生、I上さんから連絡があった。


「先生、次のようなLINEの流れで、同僚から「下に同じ」と書かれたのですが、これって合ってますか?」というもの。


ラインのグループでみんなが何かについて話し合っていて、I上さんが、ある意見を提出した。すると、そのすぐ下に書いた同僚の人が、「下に同じ」、つまり、I上さんが書いたことに同意すると言ってきたと。


この場合、「上に同じ」では? というのがI上さんの疑問である。


ごもっとも。この場合、どう考えても「上に同じ」が一般的だと思う。


日本語はもともと縦書きであるので、先述のものに同意する場合、その記述は右側にあるはずで、「右に同じ」となる。横書きの場合は「上に同じ」。「同上、同左」というのは横書きの文書で、「自分が書いたもの」にしか使わないように思う。(住所とか)


さて問題は、「下に同じ」を間違いとして糾弾するか? ということになる。


まあ、意味として(現状)分からんよね。

「視点」と言ってもいいし、「基準」としてもいいけど、「右に同じ」というのは、「書き手が書こうとしている位置から見て右」なわけで、「下に同じ」というのは、無理に解釈すると、「下に(書こうとしている私は、上に書いた人と)同じ(意見です)」ということか。なかなか激しい。


だがそれでも糾弾するほどか?


「生前」という言葉がある。よく考えると、この言葉はよく分からん。

「生後」は「生まれた後」なので、「生(まれた時)」を基準にその前か後かで後だと言っている。これと同じ理屈で「生前」は解釈されていない。

(「往生する前」だから生前だというような説を見たが、ほんとかどうか分からない)


こんな本がある。


この中で、言語変化の段階について書かれた箇所があり、言語変化は、

案出→試行→採用

と続くという。案出というのは「新しい言語表現の産出。ある個人がある時に1回行う」(p.25)とある。その後、徐々に使われ出された場合には試行へと至り、その集団がそのことばを受け入れれば採用となる。


と考えると、上の「下に同じ」は、小柳氏のいう「案出」の段階である。

はてさて、これがどのようになっていくか。受け入れられるか受け入れられないか、そもそも例えばそのコミュニティにおいて、再度使用されるのか。


その使用者が、ある種のインフルエンサー的な人で、そのまま無意識にか意識的にか「下に同じ」を使い続ければ、あるいはある程度広まったりするのかも?


そうなったら、それは正しいとか正しくないとかを超えて、市民権を得るようなものになっていくのかもしれない。

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I上さんがなぜ僕にLINEしてきたかというと、卒業してから日本語のこういう話をする機会と相手を失ったからだそうだ。


彼女が最後に、「やっぱりこういう話をするのは楽しいです」と書いていたのが、単純に嬉しかった。


【今日の一枚】

ずばり「下」で調べたら、「下から見た写真」というのがいっぱいあがってきた。その中で、秋だなということで。ありがとうございます。


【今日の一曲】

kimbra

ニュージーランド出身でオーストラリアで活動するシンガーソングライター

この曲はニュージーランドの雰囲気を感じる



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