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3.猫の前の鼠


3時間目の授業が終わり、教科書をしまう。
隣を見る。
柳くんは来ていない。

昨日は……慣れない場所に連れて行かれて、とんでもない恐ろしいことをされて、でも帰りはすごく優しくて、あまりに疲れる一日だった。
まるで無色だった僕の日常に、無遠慮にドバドバと赤黒いペンキをぶちまけられたような感じ。

夜、メッセージが送られてきたときの妙な動悸。なんて返せばいいのか友達の少ない僕にはわからなくて、正直無視したかったけど怖くて。必死にうんうん唸って捻り出した返信を送って、『また明日』はいらなかったかも、と思って。でも文章が冷たくなってしまうのも、なんだか怖くて。送ってから頭を抱えて悶々としていたら、ちいさくてかわいいで有名なキャラクターの嬉しそうなスタンプひとつで返されて。

……で。
来ないのかよ。
……みじめだ。
もちろん、あんなことされてから会うのも怖いし良いんだけど。

次の授業の準備をしようと机の横に掛けた鞄をごそごそと漁ると、鋭い痛みが走る。


「いっ」

右腕の袖の下には、大きな絆創膏。今が冬でよかった。
絆創膏の下は見るも無惨な歯形が血を滲ませている。
それのコピペみたいなものが、お腹にも3つある。
……昨夜のお風呂はすごくつらかったな。

服の上からやさしくさすりながら、次の授業の予習に取り掛かった。





お昼休み。
適当な菓子パンを早々に食べ終わり、読み途中の本を開く。
しおりを挟んだページを開いた瞬間、スッとしおりが抜かれた。


「おはよ。はるまくん。」
「ひっ……!」

柳くんがすぐ側でひらひらとしおりを振る。
心臓が止まるくらいびっくりした。


「いや〜、昨日さ、全然寝れなくてさあ。メッチャ寝坊したあ。」
「あ……そ、そう……なんだ。」

奪ったしおりを手で弄びながら、柳くんは僕に身体を向けたまま自分の席にどすんと座る。


「はるまくんは寝れた?」
「……う、うん……ちょっと、寝るの遅く……なったかも……」
「え〜!?……あー、まあ、そっかあ。……痛い?」

一瞬驚いて上がった柳くんの眉が、察して八の字になる。
顎を引いてちょっと上目遣いで、ごめんね、みたいな表情。
……でも隠せてない。笑ってる。口元が。
やっぱ反省してないんじゃないの。この人。


「……痛い、けど、……」
「痛いよね。」
「……うん……」
「絆創膏貼ってる?」
「……は、貼ってる。」
「見せて。」
「えっ?」
「絆創膏、見せて」

手をぱしっと取られる。
袖をぐいっと捲られて、また痛みが走る。


「いっ……痛い……」
「わ、でっかい絆創膏」

顕になった絆創膏を、柳くんが上から親指でグリッとさする。
びりびりと電流が走るような痛みが脳に届く。


「うっあ!」

大きな声が出て、クラスメイトが何人かこちらを見る。
こんなの知られたくない、慌てて口を押さえたら、それを見た柳くんが口角をぐにゃりと上げた。

歯が見える。
鋭い八重歯が赤い口内からこちらを見ている。
昨日の恐ろしい出来事が鮮明に蘇る。
……怖い。


「はるまくん。」
「っ……」

またなにかされる?
もうしないってやっぱり嘘?

口を押さえたままなにも言えず震えていると、僕の腕を離して両手のひらをこちらに向けた。


「ごめんごめん!心配になっちゃって。」

心配……??
嘘付き……!!
そんな、笑顔で……騙されないぞ!
……と思っても、言えず。


「う……うん……」

情けなく返事をして、柳くんから顔を逸らし、机を見つめるしか出来なかった。





放課後。
楽しそうに帰り支度をするクラスメイト達と相反して、僕は隣からの熱い視線に滅入っている。


「今日もどっか行こ。」
「っう……あの……」

ぜったい嫌だ。
……と言うのが怖い。
でも、また昨日みたいに恐ろしいことをされるのは、もっと怖い。


「ぼ、僕、今日は……」
「何?なんか用事?」

適当に理由を付けて逃げ帰りたいけど、逃がさないとでも言いたげな真顔に戦慄する。
柳くん、イケメンだから、真顔めっちゃ怖い。
目を思わず逸らす。


「俺さあ、服買いに行きたいんだよね。最近ガチ寒いじゃん?
 ……それに、昨日はるまくんのカーディガン壊しちゃったし。」
「…………」
「弁償させてよ。ね。飯も奢るよ。お詫び。」

両手を合わせて、お願い、のポーズをして柳くんが微笑む。
ううう……。


「……ど、どこ……いくの?」
「ん~、ららぽ行こうよ!なんでもあるし。人も多いからさあ、はるまくんも安心できるでしょ?」
「ん……んん……」

たしかに、二人きりは怖いけど、たくさんの人がいる中なら大丈夫かもしれない。大勢の前では、さすがにひどいことはしないだろう。
柳くんからそれを提案するってことは、今日は本当にただ服を買いたいだけなのかもしれない。
カーディガンも弁償してもらえるなら、まあ……


「わ、わかった……。」
「ほんとお!?やった!うれし~!」

僕が了承すると、ぱあっと顔を綻ばせて喜んでいる。
きっと大丈夫だ、なにも……。なにも起こらない。
自分に言い聞かせて、柳くんに着いて行った。





「あ、あれかわいくない?はるまくん似合いそ~」
「あのピンクのカーディガン……?」
「うん。どう?」
「あ~……ピンクは……ちょっと……」

苦笑いしながら、周りを見渡して誤魔化す。
到着したショッピングモールは、僕たちと同じように学校帰りであろう制服姿の人や、若いカップル、家族連れなどで賑わっていた。
服屋の店員さんのセールを宣言する声やお客さんの笑い声、店内アナウンスで騒がしい。


「はるまくん、好きな色なに?」

騒がしさをかきわけるように、柳くんが顔を近づけて聞いてくる。


「あ、あんまり派手じゃない色が好き、かな」
「え~、ん~、じゃあ昨日までのやつみたいな色?」
「う、うん……」
「でもさあ、せっかくだし別の色にしようよ。水色とかどう?」
「水色……」
「あ、ほら!あれ!水色!行こ!」
「えっ、わ!」

僕の手を突然握り、奥にある服屋へ引っ張っていく。
大きな手が僕の手をぎゅっと包みこんでいて、体格差を感じた。


「わ!似合うじゃん!水色かわい~」
「そう、かな、ありがと……」

試着室で水色のカーディガンを身に着けた自分を鏡越しに褒められる。
ニコニコと楽しそうに柳くんが笑っていて、素直に嬉しくて、ちょっと微笑んでしまった。
でも、ここ、わりといい値段しそう。……いいのかな。


「これにしよ!俺買ってくる。」
「あ、え、でも、やっぱお金……」
「ふふ、いいよ。弁償だし、お詫びだから。ね」
「……うん、あ、ありがとう……」
「うん。じゃ、会計持ってくから脱いで。」
「わかった……」

柳くんが試着室のカーテンに手をかけるのを見ていそいそと脱ぐ。
カーテンが閉まるのを背に、絆創膏に布が当たらないよう慎重に腕を袖から抜いていたら、後ろからぬうっと二本の別の腕が、僕の手を取った。


「っ!?」
「し~。……俺がやったげる。」

声が出そうになった僕の口を、柳くんの大きな手が覆う。
耳元で、低い声がぼそぼそと響く。


「んんっ……!」
「痛いでしょ?これもお詫びだからさ、やらせて?」
「~~……!」

口を覆った手を剥がそうとしてもびくともしない。
僕がもがいている間に大きな右手がするすると右腕を伝い、袖口を摘ままれる。
せめて、ゆっくり引いて欲しいのに。案の定、ぐいっと強く引っ張られる。
薄いシャツ越しに厚い布が歯型を刺激して、痛い……!


「んんん……!」
「あ、ごめんね?俺不器用かも。ふふ……痛い?」
「ん、んん、ん~~っ」
「……あはは、はい。ごめんね?はるまくん。」
「ぷはっ……!」

解放されて、すぐに彼から離れて試着室の角にピタッと背を付ける。
柳くんはさっきまで僕を掴んでいた両手をゆっくりおろし、こちらを嘲笑うように見ている。


「ははは。怖い?」
「っ……で、出て……!」
「うん。はるまくんも出るでしょ?」
「で、出るから……!」
「おいでよ」
「やだっ」
「はるまくん」

柳くんがこちらに向かってくる。
大きな身体に迫られて、全身が硬直する。怖い。怖い。
僕に覆いかぶさって、背中側の壁に手をついて、少し身をかがめて、目線を合わせようとしてくるから、一昨日のことがフラッシュバックする。顔を背ける。


「ね。出ないの?」
「……で、出る……出たい、から……」
「こんなすみっこにいたら出られないよ。」
「ど、どいてよっ……」
「あはは……かわいい」

はやく。どいてくれ。
顔を背けた視界の端っこで歪んだ笑みを浮かべる柳くんが悪魔みたいで怖くて、涙がぼろぼろ零れる。ぎゅっと目を閉じる。
ひた、と頬に感触を感じて、身体が跳ねた。


「泣いてるの?」
「っう、……」
「かわいそう……」
「っだ、れの、せいでっ……」
「うん、俺のせいだよねえ」
「ふうっ……うぅ……」
「あはは……!」

頬の涙を塗り広げるみたいに弄ばれて、みじめでみじめでたまらない。
楽しそうに笑う柳くんの声が一層近づく。
指より熱い、湿った感触が頬を滑る。


「っひ、い……!」

舌だ。
柳くんの舌が、僕の口の横、鼻の横をゆっくりと通って、そのまま閉じた瞼をべろんと舐められる。
熱い吐息が青ざめた顔面を温める。


「やめ……やめてっ」
「しょっぱい」
「もっ……やめて、おねがい……出ようよっ」
「んふふふ。うん。出よっかあ。」

満足そうな笑顔が僕を見下ろして、真っ黒な瞳孔の中に、また情けない僕の顔があった。







「あの……さ、柳くん……」
「ん~?」

帰り道、数歩前でショッピングバッグを振りながらゆっくり歩く柳くんに、恐る恐る話しかける。


「なんで、その……僕……に、あの……その」

なんで、僕に酷いことするの。
……聞きたいけど、怖い。

もし、過去に僕が柳くんの気に障ることをしてしまったなら、ちゃんと償うから許してほしい。
それこそ、一発殴ったり。それで終わりにしてほしい。

でも、理由が、ないとしたら。
……僕にはどうすることもできない。
償うことも、許しを請うことも。
ただ理不尽に酷くされてるだけなんて、あまりにもみじめだ。


「どうしたの?」

俯く僕をのぞき込むように、柳くんが聞く。
微塵もしてないくせに、そんな心配そうな顔しないでほしい。


「……なんで、僕に、ああいうこと、……するの?」

震えだす身体を抑えるように、制服を握りながら、声を絞り出す。


「もう、やめ……て、ほしい……。ぼ、僕がなにかしたなら、あ、謝るから……」

怖くて、また視界が滲みだす。
ちょっとの沈黙が怖くてたまらない。

……あ、こっちに足が向いてる?こっちに、来る……。


「はるまくん、顔見せて」
「んっぅ……」
「…………」

優しく顎を掬われて、また情けない顔を晒している。嫌だ。
涙でよく見えないけど、笑っている、気がする。

笑わないでよ。怖がらせて、泣かせて、酷い。いじめじゃないか。
やっぱり理由なんてないのかな。ただいじめたいだけ?
鬱憤を晴らしたいだけ?
なら、ずっと鷹の前の雀でしかないのか、僕は。


「うっ、うぅ……」
「……ふふ。」

惨めに泣く僕に笑い声が降りかかる。


「あのね、はるまくん。」

答えるの?
聞きたくない。怖い。


「…………。

 ……ふふっ。なんでだろうね。」
「……っは……?」

ポカン。
いまの僕はきっとそんな表情だろう。

誤魔化された?


「まあ、いつかわかるんじゃないかな?」
「なっ……なにそれ、そんな……」
「あはは」


理由があるのかないのかもわからない。なにも答えてくれてない。
宙ぶらりんにされてしまった。

無邪気に笑う柳くんに僕は、わなわなするくらいしかできなかった。


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