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求:ノーマルエンド

ここ最近は如何に心を穏やかに日々を過ごすかばかり考えている気がする。
アルコールの量を減らし、煙草の本数を減らし、代わりにブラックコーヒーをよく飲むようになったり、でもやっぱり二郎だけは定期的に食わないと調子がおかしくなるなとか思ったり。

僕は生きることは半分自分自身にかける呪いだと思っている。
生きることの大半は苦しみをどうやり過ごすかで、その中で一つ喜びや楽しみがあれば、それをいつまでも大切に抱えていく。
ある意味、感情を殺して労働だけするマシーンになった方が気楽だし、そりゃ宗教とかホストとかにのめり込む人も沢山出てくるよなと納得する。
思考停止と依存は生きると言う呪いから唯一逃げる方法なんだもの。

あと2ヶ月弱で36歳になる僕はここ最近は自分の人生をどうノーマルエンドに持っていくかばかり考えている。
社会的に立場があるわけでも無い、収入も大して無い、おまけにHIMANでOUAKU、人生のパートナーを作る気も最早あんまり無くなってきてる。

僕の人生のハッピーエンドってなんだったのかは考えるほどに色々キツくなるけど、やっぱり考えてしまう。
順風満帆に学校とか社会の中で上手くやっていく術を手に入れることだったのか、お金に何一つ困らず贅沢三昧の暮らしを送ることだったのか、結婚して子供を授かり家庭を持つことだったのか、多分それは僕にとって大して望んでもいないハッピーエンドの形をした何かだったのかもしれない。

20代の頃は殆どメンタル病んで生きていて、なんなら今も側から見たら大して変わらないんだろうけど、31歳くらいの頃に漸く「自分の人生は上々だ。」と思える時期があった。そこからまた色々あって病んだり落ちたり繰り返してなんとか呪いの様な生活を送っているんだけど。

多分、死ぬ間際に「自分の人生、案外悪くなかったんじゃねえかな?」って思いながら死ねたらある意味一番の軟着陸なのかもしれない。
結局わかりやすいハッピーエンドにもバッドエンドにもならないなら、自分なりのノーマルエンドを手探りでも上手く作るしかねえんだと思う。

SNSに溢れる欲望を加速させるキラキラした世界とは無縁の日々なんだと思う。
でもキラキラして上手く行ってる様に見える人だってその裏で計り知れない苦しみや絶望と向き合って生きていると思っている。

自分の母親がよく言っていた「自分の物差しで幸せを見つけろ。」って言葉は死ぬまで自分の中で大切な教えだ。

別に40歳なったら死ぬとか無いけど、自分の人生は40歳で一つの区切りになると思ってる。
それまでにどれだけノーマルエンドへのフラグを立てられるのだろうか。
呪詛と後悔を積み重ねていくのが人生だってわかった気ではいるけど、ちょっとくらいはSSR狙いのガチャは回したい気持ちもある。

誰かに与える幸福も、誰かに見せびらかす不幸も無い日々は明日も続いていく。

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