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【春休み世界史講座#002】グレートブリテン本国と植民地間の緊張(アメリカ道立戦争前夜)

*前回https://note.com/akshs/n/n3aa39aee135bからの続きです。

https://note.com/akshs/n/n3aa39aee135b

先生:そのフランス領ルイジアナとの緊張関係に終止符が打たれることで、状況が変化し始めます。

セカコ:フレンチ=インディアン戦争ですね。ここ、苦手です。フランスとグレートブリテンが何度も戦争をして、その度にインドや新大陸でも戦争が起きるので、頭の中がグチャグチャです。

先生:第二次英仏百年戦争と呼ばれる一連の戦いは、18世紀の世界史を理解する上で欠かせません。受験にもよく出るので、表にまとめて整理しておきましょう。

セカコの世界史マイノート 第二次英仏百年戦争


第一ラウンド 1689-1697年 ファルツ継承戦争

第二ラウンド 1701-1713年 スペイン継承戦争

第三ラウンド 1740-1748年 オーストリア継承戦争 

第四ラウンド 1756-1763年 七年戦争

セカコ:七年戦争と平行して戦われたフレンチ=インディアン戦争が、グレートブリテン側の勝利に終わりました。そして1763年のパリ条約で、ミシシッピ以東のルイジアナがグレートブリテンに割譲されます。ってことは、13植民地ではフランス植民地からの圧力がなくなったわけですね。

先生:そうです。これまでグレートブリテン本国は、「有益なる怠慢」政策をとって、北米植民地に対しては重商主義政策を厳格に適応してこなかったのでした。しかし、戦後になって、七年戦争の戦費負担を北米植民地に求めたため、重商主義政策を厳格化しました。この政策は、本国の利益のために植民地を犠牲にするものであり、植民地と本国の間に緊張が生じたのです。

セカコ:七年戦争の終結からアメリカ独立までの流れは、年表で見るとわかりやすいので、ノートにまとめておきましょう。

セカコの世界史マイノート アメリカ独立戦争前後の流れ

・1754年 フレンチ=インディアン戦争
・1763年 パリ条約
・1764年 砂糖法
・1765年 印紙法
・1767年 タウンゼンド諸法
・1773年 茶法、ボストン茶会事件
・1774年 第一回大陸会議
・1775年 レキシントン・コンコードの戦い
・1775年 第二回大陸会議
・1776年7月4日 アメリカ独立宣言
・1777年 サラトガの戦い、連合規約制定
・1781年 ヨークタウンの戦い
・1783年 パリ条約、アメリカ合衆国独立承認
・1787年 合衆国憲法制定
・1789年 ワシントン初代大統領就任
・1800年 ワシントンD.C.遷都


先生:パリ条約のあと、「有益なる怠慢」をやめたグレートブリテン本国が色々な法律を作って13植民地に課税しようとし、13植民地側が反発して独立戦争に至る流れがよくわかります。こちらの年表に沿って、お話を進めていきましょう。

セカコ:1764年の(7)砂糖法とは何ですか?どうして植民地への圧力になったのか教えて下さい。

先生:1764年に制定された砂糖法は、英領植民地以外から輸入される砂糖に高額の関税をかけるものでした。この法律は、砂糖プランテーションのプランターで構成される「西インド諸島派」の利益を守るために制定されました。

セカコ:「西インド諸島派」って何ですか。

先生:西インド諸島は、カリブ海地域の島々を指します。西インド諸島には、西欧各国が植民地を築き、サトウキビ=プランテーションを経営していました。これらはのちに独立し、現在はそれぞれが人口数十万のミニ国家になっています。

スペイン領植民地
キューバ、プエルトリコ、ドミニカ共和国など

フランス領植民地
サン=ドマング、グアドループ、マルティニークなど

グレートブリテン領植民地
ジャマイカ、バルバドス、アンティグア、トバゴ、トリニダードなど

ネーデルラント連邦領植民地
キュラソー、スリナム


先生:「西インド諸島派」は、ジャマイカ、バルバドスなどにサトウキビ=プランテーションを経営していたプランターのグループです。グレートブリテン本国の議会に影響力を持ち、自分たちに有利な関税政策などを採用させようとロビー活動をしていました。

 余談ですが、3歳になった我が家の息子が、最近国旗カードというものにはまっております。200カ国の国旗がカードになっているんですが、すでに大半を覚えてしまって、私に「これなーんだ」って聞いてくるんですね。それで、ジャマイカとか、バルバドスとか、トリニタード=トバゴとか、聞いてきます。これらの国って、どこにあるか知らない人も多いミニ国家なんですけど、どうしてカリブ海にこうしたミニ国家が多いかというと、西欧諸国のサトウキビ=プランテーションがあった植民地がそれぞれ独立したからということになります。

セカコ:先生はお子さんのお話をするときはとても楽しそうですね。

先生:いやいや、申し訳ない。本題に戻りましょう。これらの地域は、アフリカから奴隷を輸入して砂糖を生産し、ヨーロッパ市場へ輸出することで大きな利益を得ていました。糖蜜を原料とするラム酒の製造業が発展していた北米植民地も、これらの地域から砂糖を輸入していたんです。

セカコ:なるほど。砂糖法は、このうち、ジャマイカ、バルバドスなどの英領を優遇し、スペイン、フランス、ネーデルラント連邦などの植民地から輸入される砂糖に高額の関税を課すものだったというわけですね。

先生:その通りです。

セカコ:北米植民地はどう反応したんですか?

先生:糖蜜を原料とするラム酒の製造業が発展していた北米植民地は強く反発しました。北米植民地にとって、砂糖法は経済活動に対する制限となり、自由を奪われるものでした。

セカコ:北米植民地と西インド諸島派の利害が衝突したということですね。

先生:その通りです。砂糖法は、グレートブリテン本国と西インド諸島派の利益を守るために制定されましたが、北米植民地にとっては強い不満を引き起こすことになりました。

セカコ:次に、1765年の(8)印紙法、これは聞いたことがあります。

先生:1765年に制定された印紙法は、グレートブリテン本国から印紙税を課すものでした。印紙税は、文書や新聞、パンフレット、宣言などに印紙を貼ることで課税されました。印紙自体は、今の日本にもありますよね。印紙自体は主権国家が国民に税を課す手段の一つなのですが、「有益なる怠慢」の時代には課されてこなかった税や義務を、突然課してきたことが問題になりました。

セカコ:北米植民地はどのように反応したんですか?

先生:北米植民地は、南部の(9)ヴァージニア州議会などを中心に反対運動を展開し、「(10)代表なくして課税なし」No taxation without representationのスローガンを掲げて課税を撤回させました。代表なくして課税なしとは、課税される側が自分たちの代表を立てることなく課税されることは許されない、という意味です。北米植民地は、グレートブリテン本国に代表がないまま課税されることを許せなかったのです。

セカコ:なるほど、北米植民地は自分たちの代表を立てることなく課税されることに反対したんですね。

先生:そうです。北米植民地は、自分たちの権利を守るために激しい反対運動を展開し、最終的に印紙法の撤回に成功しました。

セカコ:次に、1767年の(11)タウンゼンド諸法とは何ですか?こちらは教科書や参考書であまり見かけない語句です。

先生:タウンゼンド諸法とは、1767年に制定された一連の法律で、ボストンに税関を設置し、ガラス・鉛・ペンキ・紙・茶に関税を課すものでした。

セカコ:北米植民地はどのように反応したんですか?

先生:北米植民地側は、本国製品の不買運動で対抗しました。


重要語句まとめ

セカコ:今回の重要語句をまとめておきましょう。


7 砂糖法 

8 印紙法 

9 ヴァージニア州議会 

10 代表なくして課税なし 

11 タウンゼンド諸法 

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