【春休み世界史講座#003】独立戦争開戦と独立宣言
*前回https://note.com/akshs/n/na77f8838f8fdからの続きです。
独立戦争開戦と独立宣言
セカコ:今回は、ペンシルヴェニア州フィラデルフィア、チェスナットストリートのインディペンデンスホール前からお送りしています。いよいよ独立戦争が始りそうですね。年表で確認しておきましょう。
・1754年:フレンチ=インディアン戦争
・1763年:パリ条約
・1764年:砂糖法
・1765年:印紙法
・1767年:タウンゼンド諸法
・1773年:茶法、ボストン茶会事件
・1774年:第一回大陸会議
・1775年:レキシントン・コンコードの戦い
・1775年:第二回大陸会議
・1776年7月4日:アメリカ独立宣言
・1777年:サラトガの戦い、連合規約制定
・1781年:ヨークタウンの戦い
・1783年:パリ条約、アメリカ合衆国独立承認
・1787年:合衆国憲法制定
・1789年:ワシントン初代大統領就任
・1800年:ワシントンD.C.遷都
セカコ:(1)レキシントン=コンコードの戦いで、(2)アメリカ独立戦争がはじまったんですよね。
先生:そうですね。レキシントン=コンコードの戦いは、1775年にマサチューセッツ州で起きた戦闘です。グレートブリテン軍と植民地の愛国派との間で衝突が起き、これがアメリカ独立戦争のきっかけとなりました。アメリカ独立戦争は、アメリカ合衆国がグレートブリテンから独立するために起こった戦争です。この戦争は、1775年から1783年まで続きました。
セカコ:テキストに
当初は独立を主張する(3)愛国派 Patriotsは三分の一程度であり、本国への忠誠を重んじる国王派 Loyalistsが三分の一、あとの三分の一は中立派であった。
とあります。こんなにバラバラで、戦えるんですか。
先生:まずいですね。勢いで始めてしまった、というのが実情だったと思います。そもそも、独立戦争というものが成功した例は、この時点で皆無なので、当時は13植民地の反乱という扱いでした。失敗していれば、13植民地の反乱、首謀者ワシントンとして、世界史の教科書に乗っていたかもしれませんね。
セカコ:フス戦争みたいに、失敗しても、後から見ると意義のある戦争だったという評価になっていた気もします。独立を目指していたのが愛国派というのはわかりますが、本国への忠誠を重んじる国王派って、どんな人たちなんですか。
先生:(4)国王派(勤王派)は、アメリカ独立戦争の時期に、グレートブリテン本国側を支持した植民地の人々のことです。彼らは、植民地がグレートブリテン本国から独立することに反対していました。
セカニャン:そりゃそうだニャ。グレートブリテンの植民地なんだから、グレートブリテン本国側を支持するのは、真っ当な考え方だニャ。独立なんて言う愛国派の方がどうかしてるんだニャ。
先生:国王派は、国教会聖職者や高級官吏、大地主や大商人など、総じて社会的地位の高い人々でした。彼らは、すでに社会的地位をえており、現状の変更を望まない立場でした。
セカコ:現状において、社会的地位が高かったり、富を得ている人々は、総じて保守的だと、先生がいつもおっしゃっていますよね。
先生;そうですね。中立派も多くいましたし、愛国派も一枚岩ではなかったんです。愛国派の中には、後の連邦派と反連邦派につながる対立がすでにあって、このことが、独立戦争をより困難なものにさせていました。
セカコ:連邦派と反連邦派とは何ですか?
セカイシシ:(5)連邦派と(6)反連邦派は、アメリカ独立戦争後のアメリカ合衆国の政治派閥のことじゃ。連邦派は、中央政府の強化を支持し、反連邦派は、州政府を重視する立場であった。大規模農園主(プランター)、富裕商人、弁護士など愛国派のなかの富裕層は総じて保守派であり、独立後は中央政府を重視する連邦派Federalistsとなっていく。一方、小農園主(プランター)、都市商工業者、自営農民など愛国派のなかの新興層は総じて急進派であった。独立後は州権と地方自治を重視する反連邦派Anti Federalistsとなっていく。
セカコ:難しいですが、連邦派の方が、中央集権を支持して、反連邦派の方が州の自治を重視するという理解で合っていますか。
先生:合っています。
セカコ:それが独立戦争当初から問題だったのはどうしてですか。
先生:13植民地はそれぞれ独立した植民地ですので、それぞれが議会や軍を持ち、徴税権や軍の指揮権を持っています。統一した政治機構や軍事組織はないんですね。つまり、13植民地軍はバラバラに戦うことになります。
セカコ:それじゃグレートブリテン本国がわの思う壺じゃないですか。
先生:そこで、統一した軍組織や、戦費を賄うための統一した集金組織、というか徴税組織を立ち上げようとするのですが、当然反発が起きます。
セカコ:それもそうですね。自治を守りたくて戦争やっているのに、もう一つ自治を制限する別の政治体を作ることになってしまう。これは悩ましいところです。
先生:自治を守りたくて戦争やっているのに、もう一つ自治を制限する別の政治体を作ることになってしまう。世界史における重要な問題が浮き彫りになってきましたね。とはいえ、インディペンデンスホールを前にして、この問題でセカコさんがそんなに悩む必要はありませんよ。ここでは、愛国派の中にも、集権的に進めたい連邦派の原型と、分権的に進めたい反連邦はの原型があったことをわかっておけば十分です。
セカコ:でも、バラバラに戦っていたのでは、勝てません。
先生:そうです。対立はともかく、勝つためには13植民地の軍事力を結集しなければなりません。集権か分権かは、勝ってから論じればいい。負ければ、独立もないわけで、集権も分権もないわけです。そこで、インディペンデンスホールです。
セカコ:1775年、ここで第二回大陸会議が開かれたんですね。13植民地の代表がこの建物に集まった。そして、13植民地の統一軍である大陸軍の司令官に(9)ワシントンを任命しました。
セカイシシ:ジョージ=ワシントンは1732年にヴァージニア植民地で生まれた。青年期は土地所有者や測量士として働いておったが、フレンチ=インディアン戦争中に大佐としてグレートブリテン軍に従軍し、数々の戦場で活躍して英雄となった。その後、アメリカ独立戦争が勃発すると、大陸軍の総司令官に任命された。
セカコ:フレンチ=インディアン戦争で活躍したワシントンなら、13植民地の統一軍である大陸軍の司令官にピッタリですね。あとは、バラバラだった愛国派や中立派、王党派の人々が纏まることができるかどうかです。あ、そうか。だから、(7)トマス=ペインの(8)『コモン=センス』が重要な意味を持ってくるんですね。
先生:そうですね。『コモン=センス』は、トマス=ペインが1776年に出版したパンフレットで、アメリカの独立の必要性が情熱的に、わかりやすく記されています。これが出たことで、独立の機運が高まりました。
・1775年:レキシントン=コンコードの戦い
・1775年:第二回大陸会議
・1776年7月4日:アメリカ独立宣言
・1777年:アメリカ連合規約
・1777年:サラトガの戦い
セカコ:いよいよアメリカ独立宣言が出されます。
先生:(10)アメリカ独立宣言は、1776年7月4日に発表されたアメリカ合衆国の独立宣言書です。この宣言は、アメリカの独立と、人間の自由と平等の原則を宣言したものです。
セカコ:ここ、インディペンデンスホールで発表されたんですよね。はるばる来た甲斐がありました。
先生:グレートブリテン王ジョージ3世(位1760-1820)の政府に対し、ロックがとなえた抵抗権を根拠とし、独立の正当性をうったえた内容です。有名な冒頭部分は、テストや入試でも問われるので、確認しておきましょう。
セカコ:英語の時間にも習った覚えがあります。
先生:世界史において、とても重要な文書です。「人民には政府を改造または廃止し、新たな政府を樹立し、人民の安全と幸福をもたらす可能性が 最も高いと思われる原理をその基盤とし、人民の安全と幸福をもたらす可能性が最も高いと思われる形の 権力を組織する権利を有するということ、である。」という文章は、人々が、それまであった政府や国家を廃止して、新たに主権国家を設立できると述べています。こんなことを述べた文書は、これ以前の世界史では見たことがありません。
セカコ:人々が、それまであった政府や国家を廃止して、新たに主権国家を設立できるのは、いいことじゃありませんか。
先生:そうですね。この文書は、この後の世界史における革命や独立運動の灯火になっていきます。そして、数え切れないほどの革命運動や独立運動を経て、現在の世界に約200の主権国家が並び立っているわけです。
セカコ:人々が、自由に主権国家を廃止したり、建国したりできるということを述べているわけですよね。
先生:そうですね。ホッブズのいうリヴァイアサンを、人民が消し去ったり、創造したりできるわけです。
セカコ:起草者はジェファソンらですよね。彼らは自分たちでこれを考えたのでしょうか。
先生:名誉革命を擁護するために(11)ロックが唱えた抵抗権(革命権)の思想から、影響を受けています。この文章は、よく冒頭部分と言われますが、この前に数行あるんです。それも引用してみます。
セカコ:ん?13 のアメリカ連合諸邦による全会一致の宣言ってどういうことですか。アメリカ合衆国の独立宣言じゃないの?しかも、肝心の「独立」という単語がありません。
先生:The unanimous Declaration of the thirteen united States of America,という一文は、ものすごい議論の末、練られたものだと思いますね。13州の独立性を維持したいグループと、中央の権限を強めたいグループの、激しい対立の爪痕を垣間見ることができる気がします。
セカコ:the thirteen united States of America,13 のアメリカ連合諸邦っていう表現が気になります。この13が消えて、united States of Americaアメリカ合衆国になるわけですよね。どうして、いつから、13が消えたんだろう。それから、合衆国じゃなくて、連合諸邦っていう訳も気になります。
先生:合衆国という言葉は、19世紀の日本人が勝手に意訳した言葉なので、慣例的に使っているだけです。united stetsは直訳すると「連合諸邦」となります。
セカコ:stateは州じゃないんですか?
先生:鋭いところをズバッと見抜きますね。stateは州じゃないんです。
セカコ:え?
先生:「州」を、中国の州県制や、アケメネス朝やローマ帝国の属州のような意味と捉えた場合、stateは州ではありません。stateは国家そのもの、主権国家そのものを表しますからね。
セカコ:united stetsは主権国家の連合体ってことですか。
先生;その通りです。
セカコ:じゃあ、なんで州って訳すんだろう。
先生:あまり良い訳ではないですね。あとで学習する合衆国憲法で、13のstateは一定の権限を中央政府である連邦政府に委譲します。そこで、stateが連邦政府の下部組織ということで、州と訳しているのです。ただ、現在でも各steteは、連邦政府に委譲した権限以外は、立法権や行政権、司法権を有しているので、日本の都道府県とは全く位置づけが違います。
セカコ:アメリカって、州ごとに法律や教育制度まで違って、不思議だなって思っていたんですけど、謎が解けました。stateはそれぞれ主権国家だと分かったら、スッキリしました。
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