マガジンのカバー画像

世界史ノート:二度の世界大戦(世界史160講)

15
世界史ノート:二度の世界大戦(世界史160講より第125講から第138講)
運営しているクリエイター

記事一覧

第139講 20世紀の文化潮流

 この回は、「20世紀の文化潮流」などという大それたタイトルをつけていますが、大学入試世…

第138講 第二世界大戦の終結

138-1 枢軸国の劣勢とイタリアの降伏 枢軸国と連合国  日中戦争・太平洋戦争を含めた広い意…

第137講 第二次世界大戦の展開

137-1 連合国の形成と太平洋戦争 大西洋憲章と連合国の形成  1941年米・ブリテンは戦争目的…

第136講 第二次世界大戦のはじまり

136-1 日本の中国侵略 国共内戦と西安事件  満州事変後も、中華民国では国共内戦が続き抗日…

第135講 ヴェルサイユ体制の崩壊

135-1 合衆国の景気回復と外交の転換 ニューディール  アメリカ合衆国では、民主党の1)フ…

第134講 世界恐慌 

134-1世界恐慌とソ連の発展 世界恐慌    1929年10月24日(「1)暗黒の木曜日」とよばれた)…

第133講 国民党と共産党

133-1 国民革命~国民党と共産党の合作とその崩壊~ 北京政府の混乱  北京政府は軍閥抗争によって弱体化したが、利権の回収に一定の成果をあげた。  1921年から22年の1)ワシントン会議で中華民国も交えて2)九か国条約が締結され、二十一か条問題も一定の解決をみたが、3)関税自主権回復に向けた協議はすすまなかった。  北京政府は派閥抗争を繰り返し、1920年代前半には財政が破綻し、統治能力は低下した。  1920年安徽派と直隷派の安直戦争で4)呉佩孚が指導する直隷派

第132講 東南アジア・東アジアの民族運動

 今回は、第一次世界大戦中から戦後にかけての、東南アジア・東アジアの民族運動について学…

第131講 アジア・アフリカ諸地域の民族運動

131-1 民族運動の広がりとアフリカの民族運動 新たな民族運動の担い手    戦後、民族運動…

第130講 大戦後のヨーロッパ

130-1 国際協調と軍備縮小ヴェルサイユ体制下の国際協調  当初不安定だったヴェルサイユ体制…

第129講 合衆国の繁栄とソ連の台頭

129-1 ワシントン会議とワシントン体制戦間期と勢力交代  第一次世界大戦から第二次世界大戦…

第128講 ヴェルサイユ体制

128-1 パリ講和会議と民族運動 パリ講和会議  1919年1月から1パリ講和会議が開かれた。  …

第127講 第一次世界大戦の展開と終結

127-1 第一次世界大戦と東アジア (日本の二十一か条要求と大戦景気)  1914年協商国(連合…

第126講 ロシア革命

126-1 三月革命(ロシア暦二月革命)と二重権力 (三月革命/ロシア暦二月革命) 1917年3月ロシアで1三月革命(ロシア暦二月革命)が起こり、皇帝2ニコライ2世が退位してロマノフ朝は滅んだ。 大戦が長期化すると、ロシアでは食糧や物資が欠乏し、国民は厭戦気分につつまれた。1917年3月、首都3ペトログラードで、労働者がパンと平和を求めてゼネストをおこした。この4ペトログラード蜂起には兵士もこれに合流し、労働者と兵士を構成員とする5ソヴィエト(評議会、労兵評議会)が組織