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幸せなモノの壊れ方

久々にフィルムでカメラが撮りたいなあと思い、部屋の奥にある一眼レフフィルムカメラのバッグを取り出した。

ファスナーを開けると、何だか変な感じがした。
バッグの奥に手を突っ込んでみると、ドロリとした何かが流れていた。カメラを見てみると、電池を入れるところから液体が漏れていた。電池の液体漏れだ。

バッグまで液が染み渡っているということは、どう考えてもカメラは大丈夫じゃない。これはどうしようもないな……と思いながら、まるで囚われの姫君になってしまっているかのような、カメラの中に入りっぱなしのフィルムを呆然と眺めていた。


この時私は、カメラに対して物凄く酷いことをしてしまったと思った。

カメラにとって、不幸せな壊し方をしてしまった、と思ったのである。


カメラは写真を撮る道具だ。

撮影しすぎてカメラの中のシャッターがおかしくなったとか、レンズがおかしくなったとか、フィルムを巻きすぎて巻けなくなったとか、カメラが「カメラの役割」をきちんと果たして「壊れた」のであれば、カメラはカメラ人生を全うできたのだろう、と思った。

それであれば、カメラも幸せだったんじゃないのかな、と思った。


ただ、今回の私は、カメラが「カメラの役割」を果たすことが出来ずに「壊してしまった」のだ。
ずっと部屋の奥に眠らせておいて、環境が良くないところにおいて、電池の液体漏れで、カメラが壊れてしまった。


何て酷いやつなんだろう、と。


お気に入りの洋服や靴でも、高いお金を払って買ったけど、汚したくないからとか色々理由を付けて全然着ようとしなかったとする。

ずっとクローゼットや靴箱の奥に仕舞い込んで、さあ着よう、履こうと思った時、体型が変わって入らなかったりとか、虫やに喰われてしまったりだとか、カビが生えたりだとか、一回も身に付けることなく結局捨てたりするのって、洋服や靴にとって「不幸せな壊れ方」だろうと思う。

お気に入りの洋服や靴を身に付けて、「それ似合うね」とか言われたり、綺麗な姿で写真を撮ったり、自分に似合うコーディネートによって意中の相手のハートを射止めたりして。

そうやって身に付けた末に、布が擦り切れたり、サイズが合わなくなったり、汚れたりして「壊れた」とするならば、洋服や靴にとっては「幸せな壊れ方」なのではないかな、と思う。

そうやって壊れた時に「ありがとう」と言って見送れば、次にもっと、自分にとって素敵なモノに出会えるのではないか。


壊すにしても、そのモノを不幸にするような壊し方は、しないようにしたいと思った。


ところでこの間、カメラ屋さんの人と話をしてて「液漏れしたのって丸い電池?単三?」と聞かれて「リチウムです」と返したら「リチウムって滅多に液漏れしないんやけどね!?」と言われました。

本当にすみません。カメラの保管は本気で気を付けようと思いました。


(2016.07/24 初出:別ブログにて)

#日記 #カメラ

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