りん

ひとりごとを世の中に発信してみようと思います。

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最近の記事

もしも人生が終わるとしたら

もし今、人生が終わるとしたら、私は後悔して死んでいくのだろう だけどじゃあ、後悔しない人生ってなんだろう。 何かに挑戦している自分? やりたかったことを叶えた自分? 案外、何をしていいかわからない。 もし、1週間後終わるのなら、 たらふく好きなものを食べて終わる。 行ってみたかったお店に行って、 してみたかったファッションをして、 (この際、ハイブランドで固めてみてもいいかもしれない) 見たかった映画やドラマを見尽くす。 会いたい人に会う。 1年後なら? 仕事辞めて、

    • やりたいこと

      やりたいことを聞かれるのが昔から苦手だ。 やりたくないことも、割とやれてしまうから。 やだなやだな、と言いながら、 押し付けられればなんとなくできてしまう自分。 優等生、真面目。なんでもそつなくこなすね。 何度言われてきた人生なんだろうか。 自分に負荷がかかっていることが、「やりがい」だと勘違いしてきた。 違うんだろうなあ。 やりたくて、やりたくて仕方ないことがあって 情熱で自分が動かされる、みたいな。 それを追っているうちに「成長」していた、みたいな。 最近上司

      • ナイルパーチの女子会

        読書記録 女友達がほしくてたまらない栄利子 のらりくらりと生きる主婦ブロガー翔子 栄利子が人との距離が測れずに翔子に対して エスカレートしていく話。 ありえなさと誰もが持ってる感情に起こしてしまいそうな行動。 女のコミュニティって、たしかに嫌な側面もあるけど 別にみんながみんなマウント取りたいわけでもないし 嫉妬心なんて女だろうが、男だろうが抱えるものなのに どうもこの作中では「女」として括りたいらしい。 そこが凄くザワザワした。 私はなんとなく栄利子の気持ちがわか

        • 感情が揺さぶられる

          感情が揺さぶられる瞬間って 尊いものなんだと思う。 コレが好き コレが嫌い ステキだ イマイチだ 自分が生きてきた蓄積。 ワイドショーでZ世代の倍速視聴を議論している。 重要じゃないシーンは見ないとか 感情を浪費したくないからネタバレを見るとか なんでも消費する時代だから仕方ないと思う。 私もそうしてしまうときがある。 こういうときに、ふと ゆっくり噛み締める時間を大事にしたいって思う。 SNSって世界を変えた。 自分もみんなも、自分の評価軸で判断できなくなってる。

        もしも人生が終わるとしたら

          比較

          生きているうえで 誰かと何かを比較するのは当たり前のことなんだろう あの人と比べて、 何にもできてない自分。 あの人よりはできてる自分。 ああ、嫌な生き物だ 比べて優劣に浸って 落ち込んだり、嬉しくなったり なんて醜い感情。 確固たる 「自分は自分だ」 って思える強さが切実にほしい。 キラキラ活躍する人をみて 頑張れてない自分が恥ずかしくなって 自分が生きたいように生きられてないからなのか なんだか窮屈に感じる。 このままでいいわけないって思ってる。

          焦り

          これからの人生設計が白紙で、焦りがいっぱい なんとなく、 導かれてきた人生を歩んできて もちろん自分の意思もそこにはあったのだけど、 フラフラとなんとなく生きてきてしまった感が強くて。 どんなキャリアを積んで、どう生きたいか 何をしたいか ビジョンが見えなくて、焦る。 素敵な大人の人はたくさんいるのだけれど 私がそうなれるかと言われると なれないと思うし あまりそういう生き方は望んでない気がする。 社会人5年目なんて、 バリバリ働いてて当たり前だし 仕事ができて当た

          思考が支配される

          パーソナライズされた情報。 情報で溢れかえる現代には有難いこともあるのだけど 最近どうも自分の頭で考えられなくなってきてる。 自分の好みなんかもだんだんわからなくなってくる。 オススメされた情報見ると なんとなく気になって、 欲しくなったり、見たくなったりして 口コミがなかったり、 世の中的にバズってないと 自分の判断が合ってるのか間違ってるのかも だんだんわからなくなって。 あーあ、完全にスマホ脳。 遮断したいなと思いつつも 手放すことができないし。 ますます

          思考が支配される

          生きるってさ

          生きるってどういうことなんだろって ふと考えてしまうときがある。 別に心が落ちてるわけでも、 うまくいってないわけでもないんだけど 何のために働いて、生活をして、生きるのか。 改めて考えると何なんだろう、と。 好きなこと 楽しいこと 心が躍ること すなわち幸せを求めるために生きるのだろうか 自分の幸せ、はたまた、他人の幸せ。 仕事でそれを実現する人もいるだろうし お金で買えられるものかもしれない。 学校に通って勉強したり部活をしたり習い事をしたり、 いろんな経験を

          生きるってさ

          何もしない

          やる気が起きなくなるタイミングがある。 驚くほどに何もできない。 お風呂に入る気力も ご飯を準備する気力も 寝る気力すらない。 そうして、何もできない自分が嫌になって ダラダラとスマホを見てしまう。 でもね、 のんびりした。ゆっくりした。 って言えば聞こえはいいもの。 あえて何もしなかった、とでも言っておこうかな。 本当は、ゆっくりコーヒーでも淹れて 本読んで音楽聴いて、みたいな過ごし方ができれば ていねいな暮らしなんだろうけど。 ただただyogiboの上で スマ

          何もしない

          センスを磨きたい

          センスってなんだろうか。 辞書によると 「物事の微妙な感じをさとる心の動き。微妙な感覚」 らしい。 センスがいい人って、たぶんいろんなものを 見て、考えて、感じ取る力が強いんだろうな。 そしてそのインプットの蓄積とアウトプットの質が高いんだろうな。 最近、自分の方向性だとか生き方に迷いがある。 好きなものがわからない。 いや、好きなものはたくさんある。 でもその「好き」がいろいろブレつつある。 だから、こうしてときどき文章にしてみようって 思いつくままに書いてみ

          センスを磨きたい

          赤い公園解散に思うこと

          赤い公園が解散してしまった。 本当に幸運なことに、ラストライブのチケットが当たって、赤い公園の最後を見届けることができた。 ライブそのものは、とても楽しかった。 久しぶりに生音のパワーをもらって、生きる活力になった。音楽って楽しい。 でもやっぱり悲しくて寂しい。 ランドリーから始まったライブ。 あ、津野さんいないんだ。あ、そっか、今日で赤い公園終わっちゃうんだ、と思うと幕が上がった瞬間に涙が出てきてしまった。 津野さんが作った一曲一曲が愛おしくて、 そこに津野さんは

          赤い公園解散に思うこと

          津野米咲さんを偲ぶ

          2020年10月18日 赤い公園の津野米咲さんが永眠した。 1週間経つが、突然すぎる訃報から未だ悲しみから抜け出せない。 彼女への想いを綴りたく、徒然なるままにnoteを書いてみる。 初めて使うからいろいろ間違ってるかもしれないけど、書いてみよう。 私と津野さんとの出会いは割と最近。いわゆる新参者である。 ハロプロが好きだから、作曲家•津野米咲の名前は何度か見てきた。 名前、何て読むんだろうって思ってた。 たぶん「泡沫サタデーナイト」だったと思う。 すごく好きな曲だと

          津野米咲さんを偲ぶ