見出し画像

魅惑のアナトリア

トルコに来た理由は3つあり、1つ目に2023年という穏やかでない世界情勢、特に中東の対立を踏まえて、まず「宗教」というものに興味があったこと、2つ目にご飯がおいしいと聞いていたこと、3つ目に(これが最も現実的な理由でもあるが)この円安の世の中において対円で勝てる通貨がリラくらいしかなかったこと、である。

トルコはヨーロッパとアジアの結節点であるという地理的な特徴と、かの偉大なオスマン帝国以来の広大な国土と多民族国家である所以に、エリアごとに非常に多様な表情を見せる。

中でもトルコ南東部、シリアとの国境に近い、クルドやアラブ文化の濃いエリアに行きたいと思ったのは、やはり民族と宗教というホットな話題について興味があったことと、欧米やアジアからの観光客でごった返す、よりギリシア文化の影響を受け"ヨーロッパ的"なる地中海沿岸の西側エリアの諸都市と比して、ローカルの営みに身を投じることができると感じたからだ。(それからトルコの料理の心臓部でもあり、特に安くて美味しいものの宝庫であることも)

トルコの心臓「Gaziantep」

KayseriからGaziantepへのバスの車窓から眺めるアナトリアの大地は、亜熱帯の極東の国から来た異邦人にとってはなんとも小ざっぱりした印象であった。
ステップという丈の短い草が茂り、木々は彼らの親や友人から孤立して、疎らにポツンポツンと夕暮れの大地に影を落としていた。

Gaziantepという地名はおそらく大多数の日本人にとっても、また一度はトルコに行ったことのある、という日本人がいたとしてもまず聞いたことのない地名であろう。
かつてはAntepと呼ばれた街であり、トルコの南東部に位置するトルコで六番目に大きな街である。シリアとの国境まで20kmほど、シリア第二の都市アレッポまでわずか97kmしかない。(というと東京-熱海くらいなのだが、広大な国土を要するトルコでは、隣の大きな都市都市であるAdana、Sanliurfaがそれぞれ150km超あるので、実際にはほぼ隣の都市である)
そうした意味でGaziantepはアナトリア半島と中東の結節点とも呼べる場所にあり、非常に文化的な混血の進んだ都市として特徴的である。

特に食においては、トルコ料理の心臓部といってもいいくらい、ここAntepや近隣のAdana、Urfaが発祥だという料理は多く、イスタンブールやその他の都市のトルコ料理屋には、この偉大な都市の名を冠する店(Antepの〇〇、といった具合)を何店舗か見た。
その背景にはこうした文化的背景があることは容易に想像できたが、やはり実際に行ってみたいと思ったのである。


トルコはバス社会である。広大な国土のほとんどを高速バスがカバーしており、便数も多い。基本的にはOtogar(バスターミナル)についたらバスのチケットを買うのだが、30〜40社あるバス会社の受付の客引きの熱の入れようはなかなか壮観である。

(誤解を避けるために記すが、公平な競争のもと、一定の間隔で各社が順々に便を出しているので、ぼったくられるとか、自社のバスに囲い込みされるなどはない(はず))
注意点
ただし日時によって金額と時間も変わるので、Otogarには料金表や時刻表などはなさそう。私の場合はトルコのバス比較サイト「Obilet」を活用し、発車時刻とバス会社、料金を事前に調べ、Otogarの受付に提示することで希望のバスを伝えることができた。Obilet経由でバス会社からEチケットを購入可能だが、なぜか日本のクレジットカードは2段階認証制度で弾かれてしまうので使えず、受付で直接チケットを購入することをお勧めする。


GaziantepのOtogarから市内に向かうために路線バスに乗り換える。
(ちなみにOtogarは基本的には市内中心部から10kmほど離れている。Otogarと市内中心部を行き来するためには路線バスを活用するのだが、路線バスの系統はかなり種類があり、英語の情報さえWEBにはないので、とりあえずデカい幹線道路沿いのバス停に行き、その辺の人にGoogle翻訳で聞くのが一番手っ取り早いし確実である)



CengizhanとRamazanのGezar兄弟との出会いは偶然であった。バスの到着が遅れたこともあり、Gaziantepで最も有名なバクラヴァとケバブの店、İmam Çağdaşが閉まっていたことから、夜21:30からのディナー場所を探していたところ、見つけたのが彼らのファミリーの店だった。
時間も遅かったのでオーダーしたのは2串のケバブだったが、その3倍くらいの料理をテーブルに出すと、二人は前の席に座ってもいいかなと聞き、それぞれ語り始めた。

ケバブが美味しいのはもう当然なのだが、左下のÇiğ köfte(生の挽肉とスパイスを混ぜたもの)はこの辺りのUrfaが発祥で本当に絶品。その後色々食べたがここのが一番でした。今見るとお皿もクール。



私がトルコ語を話せず、彼らも英語を解さないので、彼がGoogle翻訳にトルコ語で入力したものを日本語にしてもらい、それを日本語で入力してトルコ語にして返す、というなんとも奇妙なコミュニケーションだったが、彼らの質問は洞察に富み、会話(と言っていいのかは謎だが)は非常に興味深かった。
そのおかげで、15秒おきにスマホをフリックすることになり、せっかくの料理をすぐに食べさせてもらえなかったのだが…

シェフであり兄のCengizhanは同い年だった。2年前父を亡くし兄弟と叔父と店をやっているそうだ。
トルコでは若者が7割で勢いがあるが、格差が広がっておりインフレも大変であるとのこと。それでも24歳で結婚し3歳の娘がいるとのことで今はとても幸せだと語るその姿を見ると、「日本ではここ20年経済は落ち込み、晩婚化少子化が進んで、若者は将来への希望を見失っている」と答えてしまったことを少し後悔した。

「映画で見る東京はとても華やかでいつか行ってみたい」と語っていた彼は、私の回答に少々驚きつつも、「我々は混血である。それが原因で様々な問題もあるが、それでもその多様性を生かして頑張ろうとしてる。僕の認識が正しければ日本のパスポートはとても貴重だ。君たちにはより外の世界に出て様々な諸問題に向き合い、様々な文化や民族と交わり、共に生きられる道を模索できるんじゃないかな」と答えた。
「混血」という言葉は妙な重みを持っていた。
そもそもトルコはオスマン帝国の時代から由緒ある多民族国家である。かつては北アフリカからメソポタミア、バルカン半島までを治めた広大な帝国は、領土を単一の民族で統治するシステムがほぼ不可能であったことから、寛容で融和的な民族政策をとり、現在でもテュルク人、クルド人、アルメニア人、アラブ人など多様な人種構成となっている。人種という観点において、日本におけるそれはあまりに黙殺されているように感じるが、やはり島国の人間にはその「混血」という含みを完全には理解しきれないなと感じた。

彼との会話において、私はついぞ国家に帰属する一員として、また個人として、当事者たる思いを抱いたことなどなかったことに気づいた。

我々日本人は個人として自立しておらず、一方で国家の一員としての当事者たる自覚もなく、やはり大衆や世間に阿ることで生きているのだと。
これまで誰かが富ませてくれた国で生きてきて、これからも誰かが富ませてくれるはず。
良くないことは分かっていても誰かが変えてくれるはず。
私は所詮そういうヒーローを待っている大衆の一人でしかないのだと気づいた。


ゆっくりと沈みゆくかつての経済大国の黄昏に、はたして国家とはなんであろうかと考える。
どこか極東から来た"珍しい"旅行者として質問に回答しようとしていた自分の軽さと、彼らの現実を見つめる鋭さが際立った。

ポップコーンにチャイまでご馳走になってしまい23:30を回る頃まで語り合った。そのおかげで彼らはお得意様にこっちも相手してくれと言われる羽目になったのだが…

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?