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「書く」ということ

書く という事は
時に 人を追い詰める

書けない
書く気力が 無いのだ

この気力は どこから生まれるのか

自分を知って欲しいから?
何かを訴えたいから?

待ってくれている人が居るから?
受け止めてくれる人が居るから?

解らないけれど
どれが欠けても 駄目な気がする

気力を失うと 何も書かない

書けないのじゃない 書かないのだ

書いても 意味をなさない
書いても 何も残らない

むしろ 喪失感がある
自分の大事な何かを
無理に書く事で 手放してしまった

そんな気さえする

引き出しの中身が無くなった?
再掲際ばかりするな
そう言われたが 元々引き出しなんて
持ち合わせてない

引っ張り出す物なんてない
作り上げてるんだ
自分を 自分の内に有る物を

作れなくなったら

もう書けない

私の世界は 私が作る
もちろん 壊すのも又 私だ

過去のものに手を入れる
それも 私だ
私の今できる 精一杯だ

コレが今の私であるという 表現だ

書く事は
今の自分を表現する事だと
そう想って居る

間違っているのかも知れない

でもこれが 私の「書く」という事だ