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父の背をみて

漁師町で育った私は父が魚を捌いているのを見るのが好きだった。
台所で水を流しながら躊躇することなく出刃を走らせる。
丁寧だがスピーディー。
新鮮な血が流れ内臓を取り出す瞬間もグロテスクという感情よりも
うわぁあぁ!こんな中身なんだねぇ。と興味津々なのであった。
心臓の大きさも様々。でも形は一緒。小さな魚は小さな心臓。
大きい魚になると拳サイズくらいもある。
人間の心臓もこんな感じなのか?と自分の胸に手をあてた。
卵が入っているときなんかもある。
「これを煮付けたらうまいぞぉ」と父は嬉しそうだった。
三枚おろしができあがりどんどん刺身にしていく。
キラキラ光っておいしそう。
雌節と呼ばれる脂ののった節と雄節は雌節に比べるとあっさりしているが食べ飽きない。血合いのついた刺身も新鮮であれば臭みがないのである。

見慣れた皿に刺身が並べられる瞬間私は拍手をするのだ。
見事なお作りの完成。薬味も添えて。
あーはやく食べたいなぁ。胸が躍る。

「いつか私もおおきくなったらお父さんみたいに魚きれいに捌けるかなぁ?」
わくわくしながら父の背を見つめた小さな私。

食卓の真ん中に刺身がドーンと置かれた。
お父さんの真似をして少しワサビをつけたり、紫蘇を巻いて食べたりと子どもなのにつうな食べ方をした。
新鮮な刺身は甘く食感も格別である。
ご飯をおかわりしてもりもり食べた。
小さなころに魚ばかり食べていたことで魚嫌いになる人もいるようだが
私は大人になった今も魚が大好物で毎日でも食べたいくらいである。
実家を離れ、大阪に住んでいた頃はあれほど毎日当たり前のように食べていた新鮮な刺身が食べられなくなったことがとてもつらかった。
近くのスーパーに行くとどす黒い刺身・・・とは呼べないようなものが
刺身として売られていたことに驚きであった。

地元に戻ってきた私は父の捌いた魚料理を食べながら
ふと、父がいなくなったら誰が魚を捌いてくれるの?と不安になったので
父が元気なうちに本格的に指導してもらおうと決めたのである。

しかし父は特に私に指導をすることはなかった。私がお願いするも
「あれだけ見てたからやってみたらできるやろう」とのこと。
きっとめんどくさかったのだろうが、
そんなもんかいな。と思いながらちょうどご近所からいただいたアジをさばくことにした。
やってみると驚き。
小さなころから父の捌き方を何度も見てきたので手順は自然と理解できており私も躊躇なく包丁を入れることができるのだった。
やってみると思ったより難しいとか、ぬめぬめして気持ち悪いとかなるのかぁと思ったけど私はイメージ通りにすることができた。

今も時々魚を捌くことがある。
刺身にしたり、煮付けたり、フライや南蛮漬けを作るのも楽しい。
色々な調理方法で色んな味を楽しめる。飽きがまったくこない。

父の背を見て取得した魚の捌き方。
これからも色んな料理に挑戦してみたいなぁ。
そして大好きな父と魚料理を囲みながら酒を楽しむのも良い。
考えただけでニヤニヤする正午であった。



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