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七月2じゅうハチ日

四時半に目がさめて、窓をあけた。

きれいだった。雲は、空の高いところへと、のぼるように伸びていた。

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四時を過ぎると、セミは鳴きます。ここに越してきて、はじめて知ったこと。

八時、ゴミを出しに行く。蛍光管と電池の日。陽射しが暑いので、ゆっくり歩く。暑くなくても、歩くのは遅い。暑いのはにがてだから、ますます遅い。

ゴミのステーションは神社のとなり。集会所の奥の、鉄の格子のとびらをあけると、ビニール袋がひとつと、ながいながい蛍光管が三本くらいしばって置いてある。ながい蛍光管とビニール袋のあいだに、まるい蛍光管の入った正方形の箱を置いてきた。

神社の木から、うぃんうぃんと蝉の羽をふるわす音が降ってくる。ちょっとのあいだ浴びてかえった。

アパート手前の小径に戻る。こんなとこにもいたの、クサギさん。向こうにしかいないと思ったよ。わたしはクサギを見わける目を持った。花がなくてもわかるのが、自分でもすごいと思う。

秋にこの実を染めたいです。いまの、生きるよすがみたいな、ねがい。

おみそ汁をつくった。夏のおみそ汁にはミョウガ。みそを溶いたあと、うすく切ったミョウガをぱっと散らして、お汁の余熱で、火がとおるかとおらないかくらいの、ミョウガさんが好きなんです。


夜、とあるブログを読んだ。「かつての地球バージョンの表現では、いまの現実に合わないこともあるかも」という部分、ああああ、これだ、となった。
(前の、でも、古い、でもなく、かつての、というのがとてもいいと思った。)

かつてのわたし(書きかた、書き癖、その他もろもろ)では、いまのわたしに追いつかない。

実験だと思って、かつてに頼らないように、書いてみました。実験は、つづく。





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