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自分はずっと、手先が不器用なのだと思っていたから、染織のお教室で「器用ですね」と先生に言われた時はびっくりした。「おばあちゃんに不器用だと言われていたから、そうなんだと思っていました」と言うと、先生は「世の中のおばあちゃんはみぃんな器用」と言って、そんな器用なおばあちゃん基準では不器用とされるかもしれないけれど、その基準の外では十分器用で通用する、ということを暗に伝えてくれた。そうなのだ、わたしは充分に、器用なのだった。

グループホームに入所していた祖母に、うさぎのぬいぐるみを作って持って行ったことがある。ぬいぐるみキットを買ったのだけれど、首に巻くフリルや耳の一部分などに、手持ちの端切れ布を使った。祖母にもらった布だった。ぬいぐるみを渡すと祖母は一目でその布たちを見分け、「これは丹前(かいまきのこと)に使ったやつ、こっちは布団を打ち直した時の」と、三センチ四方にも満たないわずかな柄から、何十年も前のことを語った。驚きよりもやっぱり、と思う気持ちの方が強かった。祖母が自身の手仕事をどれほど愛していたことか。認知症になっても、自分の手で慈しんで作ったものを忘れないほどの、動かした手の確かさ。

記憶の中の祖母は、いつも手を動かしている。きちんと正座をして何かを一心に縫っている、セーターなどからほどいた毛糸をくるくると玉にしている、眼鏡をかけて編み目を数えながら何かを編んでいる。グループホームでも何かしら手を動かしていた。「ただ居るばりよりいいべ(ただ居るだけよりもよい)」と言って、模様編みも増し目、減らし目も忘れてしまいまっすぐにしか編めなくった手で、表編みを往復に編むだけの編み物仕事。祖母にとって手を動かすことは日常だった。それは趣味のような、好きでやることというより、生活していくうえで欠かすことのできない、必要に迫られた仕事だったのだ、たぶん。

柳田国男『木綿以前の事』を青空文庫で少し読んだ。人が自分の着るものを自分で作ることが当たり前だった頃、誰もが手を動かして糸仕事、機仕事に勤しんでいたのだろう。祖母はそういう時代のかけらを受け継いで生きてきて、その祖母の姿を見てわたしは育った。祖母の、手を動かすことや作ったものを慈しみ大切にする濃やかな性質は、少なからずわたしの内にもある。生きていくことと切り離せない手仕事ではないけれど、わたしは手を動かす。もういない祖母や、ずっとずっと以前の、営々と手仕事を続けてきた人たちと、手仕事への思いは同じであればいいと思いながら。

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