「ロシア」は、いかにして生まれたか タタールのくびき

モスクワ歴史学派は「ロシア人、ウクライナ人、ベラルーシ人はすべてルーシの子孫だ」と主張し、ウクライナ歴史学諸派は「ルーシ人はウクライナ・ルーシ人(ウクライナ人やルシン人)になった」と主張している。そして、ヤマト民族は日本人になった。

タタールのくびき→モンゴル人による間接支配

1236年から1480年にかけ続いたモンゴル帝国によるルーシ(ロシアの古名)征服時代のこと。

くびき

牛や馬など家畜を拘束する際に用いる棒状の道具のことで、「タタールのくびき」とは「モンゴル人に家畜のように自由を束縛されていた時代」というロシア人が抱いた屈辱的な心情。

ロシアが成立した(タタールのくびきからの脱却)のは、伝説上の始祖リューリクの18世代目にあたるイヴァン三世の時代。1480年のウグラ川で対峙→アフマト軍の撤退

現ロシア連邦の原型であるモスクワ大公国は、15世紀後半にはロシア一帯を統一した上でモンゴルの干渉を排除することに成功。その後も領土拡大を続け、18世紀にはヨーロッパ五大国の一角「ロシア帝国」として強い存在感を示すようになる。

キエフ・ルーシ国家

スカンジナビアから来たリューリク兄弟

→正教キリスト教を受け入れる→東ローマ(東方)

西ヨーロッパはローマ・カトリック(西方)

ウラジーミル大公の時代にモンゴルが攻めてきた

ルーシはタタールに従属

モスクワはルーシの中心に

モスクワ諸侯によるウラジーミル大公位の獲得

ルーシの府主教座をモスクワが獲得

モスクワ公ドミトリーの子

・アンドレイ

・ダニール

15世紀

・ルーシ支配していたジョチ・ウルスがいたが、モスクワ公国内の内紛

イヴァン三世がつくりあげた全ロシアとする

従士団的共同体から主従関係へ

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