麒麟はいた

 久しぶりにNHKの大河ドラマを見た。どちらかというと敵役の明智光秀を取り上げた「麒麟がくる」だ。穏やかな世に現れるという麒麟。生きにくい、未来が見えない現代にこそ、ということらしい。ドラマでは鮮やかな水色の衣装に包まれて、麒麟の現れる世の中にすべく、光秀が立ち上がった。そういえば昔、そんなこと考えてたヤツもいたな~。
 昨年の4月、たぶんここで定年を迎えるだろうから、今までに身につけた全てのことを伝えようと思って、勇んでこの地に乗り込んできた。ところがしばらくすると、どうも様子がおかしいことに気づいた。やることなすこと空回り、そんな感じだった。
 数か月過ごしてみて謎が解けた。それはこの町でモツを焼き、アユを肴に酒を飲んでからだ。もしかしたら、皆すでにわかっていたことなのではないか。自分の方が教えてもらうことだらけなのではないだろうか。
 雄大な山と川の風景。毎日こんな景色を眺めていれば、心穏やかになるだろう。冬は数メートルの雪に閉ざされる。間違ったことをやっていれば、こっちがやられる。「答」はここに書いてあった。
 たまに会う飲み仲間が言っていた。「四分六ですよ。相手が六で自分が四。それでいいんですよ。」「ちょろちょろでいいんですよ。」同じことを言っているのかもしれない。もしかしたら、これがあの桃源郷?田んぼを耕し、雪を堀り、魚を釣って、祭を祝う。
 だいぶ前に流行った「バカの壁」にも書いてあった。頭で考えていたらバカになる。もっと自然と触れ合いなさい、と。
 生きにくく未来が見えない時代だといわれている。金もうけ、効率、格差社会、グローバル経済・・・。そんなこたあどうでもいいじゃねえか♪モツ焼いてアユ食ってればいいねっか。こんな穏やかな地に、もうずっと前から現れていた。何千年も前から現れていた麒麟。そびえたつ越後三山と悠々と流れる魚野川が、そう教えてくれた。

2019年1月記す


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?