スキルゼロの貧困主婦が年商8桁社長になったお話し
『40代だから売れる』インスタ集客を
パーソナルでサポートするあかねと申します。
私は美容師6年
Webデザイナー4年
美容サロン運営3年
集客コンサルを2年
運用代行10アカウント運用
オンライン起業で私自身は最高月商540万
サポートクライアントさんの成果は
インスタ集客初月7桁達成
2週間で200万売り上げ達成などなど
私だけでなく
私がコンサルするクライアントさんや
生徒さんも実績を出すほどの
成果を上げることができ
いろんな事を叶えることが
できる様になった私ですが・・・
長女が生まれた頃は
カントリーマアムの大袋が贅沢品なくらい
生活が苦しかった。
子どもの時から、自分のことはおいといて
人のお世話をすることが好き。
必要としてもらえる事に喜びを感じていました。
高校生で、女性を綺麗にできる美容師になりたい
そして、海外にお店を持って
海外に住む日本人にとってなくてはならない存在として
活躍する!そんな夢を持って、美容学校へ。
沖縄から東京の美容室で揉まれながら下積み6年。
自信を持ってスタイリストになれる!直前でまさかの妊娠。。。
覚悟も無いまま、ママになった私。
妊娠をきっかけに
実家の家業の手伝いも
必要になったことが重なり、当時の夫と
共に沖縄に帰ることに。
初めから夫婦の喧嘩も絶えず、その度に
『もっと、美容師やりたかった』
『今じゃなかった。』
と考えてしまう私がいました。
だけど、そんな気持ちは出産してすぐに吹き飛びました。
第一声、生まれた娘を見て「こんな可愛いの?😳💕」
とびっくり。
自分以上に大切な存在に出会えたことに感動😭
夫との不仲や、貧しい日常への不満が
一気に吹き飛びました。
「選択できない人生のスタート」でもありました
美容師は週末勤務や、残業ができないと
まともなお給料が当時まだもらえなかったので
出産後、美容師の復職は難しく。。。
その当時の夫も見知らぬ土地での
就活中なのもあり、うまく行かず。。。
産後2ヶ月で保育園に預け
私が仕事を二つ掛け持たないといけないくらい
生活が苦しかったです。
美容師の頃、面接に落ちたことがなかった私でしたが
パソコンが全くできなかったのと
生まれたばかりの子どもがいることがネックになり
面接全滅。。。だけど生活しないといけない
そんな時、仕事を探す上で判断基準になっていたのが
『誰かのこうしたい!を形にする』のが
美容師の醍醐味だと感じていた私にとって
誰でもできる仕事にとても抵抗がありました。
いくら生活のためだからと言っても
やりがいを持って仕事できないと自分が壊れてしまう。。
”そんな時、やりたい仕事を見つけました”
それはwebデザイナー。
お客様の「こうして欲しい」を形にできる仕事!うまくいけば
家でできるから、今の私にもできる!
パソコンが買えるお金もない、使い方もわからないけど
webデザイナーにどうしてもなりたい!
コールセンターでバイトをし
数ヶ月かかってパソコンを買い
寝ても覚めてもデザインを独学で勉強しました。
安くで友達のお店の名刺やチラシを作らせてもらったりする中で
ちょっとずつできることが増えていき、お仕事も紹介などで
頂けるようになっていきました。
そうやって、実践し、学びながらwebデザイナーとして、
広告代理店の就職に漕ぎ着けた私!!
初めて自分のやりたい!が叶った嬉しい瞬間でした。
が、そう甘くはなかった。
その時年齢は29才の2才の子持ち。
周りは独身でデザインの専門学校を卒業したばかりの
知識も豊富で、時間も自由に使える人たちばかり。
努力なら負けない!子どもがいるからこそ頑張れる!
子どもが居ても関係ない!そう思って頑張るも、、、
魅力的な案件は、徹夜できるの?残業できる?
の質問にいつも「はい」が言えず。。。
子どもがいるから細やかなことに気づけるのに
ママだからこんな風に役に立てるのに。。。
「ママだから」が活かせる職場ではなく
完全なる男社会、まだまだその時は
徹夜が美学のweb業界。
その時、当時の夫との離婚問題が浮上。
シングルになるなら「起業だ!!!」
と一念発起。
「お客様の言葉にできないこうしたいを形にしたい」
「女性が輝くためのサポートがしたい!」
という気持ちが捨てられなかったのと
創業補助金という制度を使い
従業員、お客様、関わる全ての女性の
「こうしたい」を形にするをコンセプトに
トータルビューティサロンをオープン。
安い、速い、1箇所でなんでも出来るサービス形態で
お客様のこうしたい!を全て形にしたお店。
すぐに繁盛しました。だけど、その繁盛は私自身の
究極の自己犠牲の上にしか成り立っていませんでした。
経営を学んだわけではなく、ただただお客様のニーズを
形にし、従業員の働きやすさを重視したお店の負担は
私に全てのしかかる。
お客様がいつでも来られるように年中無休。
だけど働くスタッフはママばかり。
私が休みなく働き、少ない利益で自分の手元に
残るのは、会社員よりほんの少し高い程度のお給料。
それでもよかった。みんなが喜んでくれるから。
娘にも、頑張っている背中を見せられているし。
と思っていたのは私だけだった。。。
親と同居して、娘を見てもらい
仕事ばかりだった私。
一番の犠牲になったのは
自分よりも大切な娘でした。
お店を初めて丸3年、娘が不安定になり
学校からも呼び出されるようになり。。。
娘と話し合い、お店を売却することにしました。
気づいたら、全部が中途半端で終わっていました。
美容師としても、デザイナーとしても、経営者としても。
あんなに全力で走ってきたのに
何一つ形になってない、全部が中途半端。
元々なかった自信がどん底までなくなりました。
そんな時、支えてくれた今の夫と再婚。
娘とも良好な関係だったので
夫のいる大阪に移住。夫は贅沢さえしなければ
十分に生活出来る経済力はありました。
初めての安心できる、生活。
娘にお帰りなさいを言い、手作りのおやつを作り
娘との時間を取り戻すかのような毎日。
第二子にも恵まれ、心配をかけていた両親にも
喜んでもらい。。。幸せな毎日のはずが、、、
私にとって不安で仕方なかった。
私はママでこのまま終わってしまうのか?
私の人生は、沢山の人の役に立てる仕事が
したかったんじゃないのか?
主婦だと、毎日夫の帰宅時間に感情を左右され
夫の顔色を伺って買い物
5000円の洋服は高くて買えない
専業主婦の生活が私を不安にさせました。
「私の人生ってやっぱり選択できない人生なのかも」
その時出てきた想いがやっぱり
今までこんなに頑張って、色んな経験を
してきた私だから、救える人がいるんじゃないか?
この私の経験が、誰かを助けられるんじゃないのか?
娘が安定してきたら、思考がすぐにそちらに
切り替わってしまった私。
夫にその気持ちを打ち明け
夫も快諾してくれて
第二子を出産後、すぐに起業への行動開始。
そんな時、コロナに突入。
初めての70万円の自己投資は協会ビジネス。
なんと2ヶ月で協会が倒産。。。
自己投資先の見る目のなさに
最初は応援していた夫の信頼も失いかけていました。
だけど、どうしても
"私だからできる"ビジネスをつくりたかった私は
夫にもう一度自己投資を懇願。
連れ子再婚で、第二子が生まれたばかり
私たち夫婦には本当に余裕も信頼もまだまだ乏しく。。。
だけど、今度こそ絶対成功させる!と夫に懇願し
今度は自分のオリジナルビジネスを構築できる
起業塾へ自己投資。
あとあと、夫に起業への自己投資は
捨てたお金だと思っていたと告白されました。
初めての起業塾
初めて入った起業塾では商品構築に8ヶ月かかり。
論理的思考を教える専門家になるために
50冊の本を読んでレポートを書き書き。。。
結局形にできず、デザイナーの経歴を活かした
LPの専門家。
起業塾のコミュニティ内の女性起業家さんに
LPの作り方を教える講座を開催。
正直、自分の実力で集客出来ているのではなく
コミュニティ内でデザインできるのが
私しか居ないから選ばれているだけ。。。
と、自分に一切丸をつけられない毎日。
だけど収入を得られているから
とにかく必死に与えらてもらった仕事に全力投球。
月商7桁を売り上げても、もっともっと
毎月売り上げを追い、売り上げを作るために
いつしか自分の想いや、大切なものを見失っていった。
いくら売り上げても、もっともっとは続き・・・
2年間、毎日自分の限界まで追い込んで
本当に辛さがピークに達していたその時に・・・
仕事ばかりしている私が、目を離した隙に
3歳の息子が怪我をして、救急車で運ばれました。
あの時、もし息子に何かあったらどうしようと
いう恐怖を今でも忘れられません。
私は息子の誕生日を忘れたこともありました。
誕生日の当日に、起業塾での
大きな発表の舞台があり
その舞台の直前に、3歳の息子に
「僕の誕生日はいつ?」と聞かれて
泣き崩れました。その当日でした。
あと何回寝たらお誕生日だよと
何日も前から言っていたのに
当日起業塾での私が大役を果たす
ことが直前で決まり。。。
そのプレッシャーから大切な息子の
誕生日を忘れてしまうという、あってはならない失態。
そばにいた夫が、フォローしてくれて
なんとか仕事での役割を果たしましたが。。。
また、家族を犠牲にして働いている。。。
これで2回目。私はやっぱり起業なんてする器じゃない。
自分を犠牲にするどころか、
再婚で、私と娘を受け入れてくれた
私について来てくれた娘、息子に負担をかけ
けがまでさせて、得たいものはこれじゃない。
家族を旅行に連れて来れても、部屋から出ず、
ホテルの部屋に残り
一人仕事をしていた2年間。
何のためにこんなに働いているんだろう。。。
そんな時に起きた息子の怪我事件。
息子は軽傷で済んだけど、やっと目が覚めた。
このままでは、本当に大切なものを失ってしまう。
このままでは、自分が壊れてしまう。
その時の起業塾からの脱退を決意。
メンターのいう通りにしか動けない自分
最初の起業塾では
メンターに頂いたビジネスをやっている感覚。
会社員の時以上に、メンターの確認を取り
メンターの思い描くイメージに近づけていくような感覚。
空気を掴むような感覚で、やっていくビジネスに
違和感と不安が強かった。
睡眠時間、家族時間、隙間時間、全てを削り
全身全霊で、起業に身を捧げた2年間。
残ったのは、あんなに頑張ったのに、
自分の商品もお客さんもいない
自分で集客できていたのではなく
起業塾の中だけで成り立っていたビジネス。
本当に何も残っていなかった。
もう42歳。今から、インスタグラムでアカウントを作って
今から後発でビジネスができる?
もうコミュニティに所属するのは怖い。
メンター制度が怖い。
もう、誰かの言いなりになる自分にはなりたくない。
だけど、一つだけ明確なことがあった
私だから、救える人がいるんじゃないか?
この私の経験が、誰かを助けられるんじゃないのか?
この気持ちだけはどうしても諦められず。
自分の本当に救いたい人を救うための
ビジネス構築を決意。
今までやってきたことを丁寧にメソッドに落とし込み
やっとスタート地点に立てた。
だけど、やっぱりメンターが必要。
またありがたいことに、集客せずともすぐに
生徒さんが二人出来た。
だけど、私には答え合わせができるメンターがいないと
生徒さんに正しく成果を出してあげられない!
この最初の二人には、絶対に成果を出させたい!!
そんな時に、メンターへの恐怖症がある私が
どうしても、この人から学びたい!
と思えるメンターを発見。
他の起業塾で疲弊し、自信が底をついてしまった人たちを
救済し、暖かくサポートし、生徒さんから愛されるメンターを
見つけた。
人生で初めて、この人みたいになりたい!
この人みたいに生徒さんにも愛されるくらいの
ギブをしたい!と強く思った。
この人がいくらでも、この人から学ぼうと決意。
ギブすることは、ノウハウを安く、もしくは無料で
提供することだと思っていた。
ノウハウはギブの基本、みんながやっていること。
本当の価値や差別化は、どれだけ
相手に寄り添う心を持って、接することができるか。
相手の痛みやつまづきを理解し、
見守り、誰よりも応援できるそんな
メンターになれることを学び。
私自身も生徒さん達に実践、
迷いばかりの生徒さんたちが
「心からやりたい!ビジネス」
に出会い構築し、爆速で進んでいる!
すでに商品を持っている起業家さんは
ギブを見直し、最短で成約が出来る
ルートを構築することが出来た。
そんな私の商品は、
「40代だから売れるインスタ集客」を
パーソナルでサポートしています。
✅集団の起業塾でうまくいかなかった
✅商品は持っているけど、売れなかった
✅頑張っているのに報われない
一度は自分だからできるビジネスで
誰かの役に立ちたくて起業を決意したのに
うまくいかなかったという頑張り屋さん。
だけど、本当はこのままでは諦めたくない!
私にはまだできることがあるはず!
本当は自分を信じたい!
そんな想いのある、40代以上の女性起業家さん
のためのパーソナルサポートです。
あなたの中に眠る強みを掘り起こし
あなただから出来る
あなただから売れる
土台作りから『売れる』までを
丁寧に個別サポートしていきます✨
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