見出し画像

病気の一枚 60

2024年5月の私です。

本編に入る前に・・・ここ最近、私のnoteへ来てくださっている皆さま&いつも読んでくださっている皆さまへ。いつもの皆さまにはいつもの記事ですが、最近来てくださっている皆さまには、ちょっとびっくりかも、と思うので、この前置きを書くようにしました。

私、この病気の事を、今は月1回で書いています。最初の頃は、まあ、自分の人生で、こんな経験することって、2度とないしな、と思って書いていました。でも時がたつにつれて、記事を読んでくださっている皆さまにコメントをいただくようになり、この病気に対して、病気を経験した人にも、現在進行形で治療をしている人にも、経験していない人にも、何か伝えられる、伝わる事があれば、と、少しずつ思うようになってきました。

特に大きな事は何も考えてなく、どなたかが言われた「ろうそくの灯」のように小さな小さな明かりを灯し続けていければ、と思っております。
私の定時連絡のようなモノだと思っていただければ、いいかなと思っております。

2019年夏、右胸のしこりに激痛がはしり、検査の結果、乳がん、悪性腫瘍と診断されて、11月に右胸全摘とガンが転移していた右脇下のリンパ節切除手術を受けた。そして12月から抗がん剤治療が始まり、翌年2020年5月にやっと抗がん剤治療が終わり、7月にポート抜去手術後、ホルモン療法(タモキシフェン)が始まった。

2020年9月から仕事復帰。ただし、右腕はリンパ節切除の影響で軽いリンパ浮腫を起こしていたが、腕を休ませながら、仕事は本格的に復帰していた。しかし再発治療による副作用のため、現在再び休職している。

2023年1月に再発。右肺の胸膜に遠隔転移判明。診断は『右肺の胸膜播種』。現時点でガンに対する自覚症状はない。べージニオ&フェソロデックスを用いて再発治療中。

最初のがん告知から、4年7ヶ月。
右胸全摘&リンパ節切除手術をして、4年6ヶ月。
最初の抗がん剤治療が終わって、3年12ヶ月。
再告知&再発治療が始まって、1年4ヶ月。

好中球って何さ。

現在、抗悪性腫瘍薬ベージニオを服用している。先月もこの出だしから始まった。その薬の主な副作用が下痢である。これも先月語った。
だがしかし、今月の血液検査で好中球減少が判明したので、治療が1つ止まった。

抗がん剤などの正常な細胞にも影響を及ぼしてしまう薬を投与されると発生する副作用に「好中球減少」というのがある。白血球の一種で、これが少なくなると感染症などに対する防御能力が低くなるので、血液検査のたびにチェックされる重要項目の一つではあった。

そもそもベージニオの服用が始まってから、その数値はほぼ下限値の下をいっていた。たまに上がったりしていたものの、それが1000を下回ることはなかなかなかったのだ。
それが今月は1000を下回って960という数字を叩き出したのだ。そして、1週間後に再検査したら、945ともっと下回ってしまったのだ。
え!?と思って、家で今年に入ってからの数値を叩き出してみた。
 1月:1526(白血球数3500×分葉核球0.436、という計算だそうです)
 2月:1047(白血球数3000×分葉核球0.349、ありゃ、ぎりぎり)
 3月:2990(白血球数3800×分葉核球0.787、全然あるやん)
 4月:1030(白血球数2800×分葉核球0.368、わおっ、ぎりぎり)
 5月①:960(白血球数3000×分葉核球0.32、ベージニオいったん止め)
 5月②:945(白血球数2500×分葉核球0.378、もっと下がってどうするん?)
という経緯をたどって、ベージニオ100mgの服用は次回の治療日(4週間後)まで休薬となったのである。

ただ、フェソロデックスは治療可だったので、今月もお尻に注射を打たれた。今月も痛かった。痛かったどころか、治療が終わって少し休んで、起き上がって会計やら売店で買い物やらして、薬局にたどり着いた頃、右足の膝から下の部分が異様に痛くなって、急きょカロナールを処方してもらった。あ、ロキソニンは以前飲んで身体に合わなかったので、飲めないのである。

ぜーんぶ薬のせいだからね。

好中球減少で久しぶりの休薬を告げられ、ショックが顔に出ていたのか、主治医の先生が何度もそう言った。
「なんで白血球が…最近よく動き回ってたから…」
「じゃないよ」(←ここ先生とハモる)
「遊び回って…」
「じゃないよ」(←ここ先生とハモる)
「え〜っと〜」
「ぜーんぶ薬のせいだからね」
そっか。まあ、薬は効果もあるし、こういうこともあるよね…。
「落ち込まないでね」
「いや、先生、ちゃんと落ち込んどるよ」
「大丈夫。フェソロデックスはできるから」
というやり取りの後、処置室へと向かったのであった。

帰りの薬局で、少し薬剤師さんと話をしたのだが、次回再会時はおそらく減薬になるんじゃないかと。
そういう患者さんも何人かいて、好中球減少で休薬した後は、100mg→50mgへ減薬になることが多いのだそう。
「この薬は永久ではないからね」
と言ってた先生の言葉をふと思い出す。減薬したら増やすこともないよと。そっか、この時がやってきてるんだな。2年ぐらい100mgで飲める勢いだったんだけどな。50mgに減ると効果も5割に減ると言っていた。

いや、もう何をどう考えても始まらないな。まずはとにかく白血球の回復を待って、また薬を飲めるようになろう。
ちなみに、ベージニオの休薬が決まって、ショックも受けたが、その次に思ったのは、
「やった!下痢から解放される!」
であった。だが、すぐ解放されたわけではなく、私の場合、食べたものがほぼ原形をとどめているというあの下痢が1週間ほど続いた後、解放された。そしてつい最近、バナナ状のブツが出てきた時にめっちゃ感動したのは言うまでもない。

撮った。

今月はなぜか登山をしている人とよく出会い、よく話す機会がよくあった。
登山にも少し興味は持っていたことと、ほぼ毎日散歩を1時間しているなら、低山ぐらい登れるかもよ、という話がちらほら出たので、ちょっと低山登山にチャレンジしてみた。
「登山」というと、激しい運動じゃない?と言う人もいたが、主治医の先生に以前確認したら、全然問題ないよ、とのことだった。ただ、無理はするなと。ええ、それはもちろん。

学校行事で登山を経験したことはあったが、大人になって、しかも一人でというのはまったく初めてで、いろいろ準備をしていく中で大きな問題にぶつかった。右腕のリンパ浮腫だ。
重たいものは持てない、肩に掛けるバッグやリュックはだめ。なので、登場したのは、ウエストポーチ。これなら肩に直接負担はかからない。あとは肌を保護するクリームと、虫刺されの薬と、作業用軍手(綿ではない物)と、水と薬と少しの食糧と、小さなアイスノンと、よし。あとは雨が降っても大丈夫な長袖長ズボンを履いて、うん、ばっちり。

いざ出発。選んだ低山は、日常で登る登山者が多く、一人で登っている人も走って登っている人も多くすれ違った。
実は登り口のベンチで一人のおばあさんが座っていて、登る前に、いろいろ山のことや病気のこと、おばあさんのケガのことなど、たぶん30分ぐらい話をしたと思う。でも、その時間があったから、かちこちに緊張していた私の心がほぐれて、だいぶ心軽やかに、そして自分のペースをしっかり守って頂上まで登ることができた。「いってらっしゃい!」と笑顔で見送ってくださったおばあさんに感謝である。

とまあ、こんなふうに、最近やりたいことは、できるタイミングがあれば迷わずやろうと決めている。先生にも登山の話はしたが、それと好中球減少は関係ないときっぱり言われた。

好中球減少が分かってからは、何か気をつけることはないかと聞いたが、いつもどおりの日常生活を送っていいし、それで何の差支えもないけど、感染症だけは気をつけてねと。感染症対策はあの流行り病以来、気をつけているので、今までどおりの生活で大丈夫だ。

うん、ぼちぼちで、大丈夫。

追伸:病気の一枚は連載モノです。よかったら59もご覧ください。



いちおう今までの分は私の病気マガジンにまとめています。
1から読むと、かなり長くなりますが、興味がある方はどうぞ(^^;)
えっと、13までは病気治療に専念しており、14あたりから徐々に社会復帰して、毎月の定時連絡になり、44から再発治療が始まります。


記事を書くための栄養源にします(^^;)