180615 世界への接近、平田オリザ、ありのまま
人は、世界をそのままのかたちでは認識できない。
なんらかの中間項、それはレンズのような、装置のような、あるいはメディアのようなもの、を通してのみ、世界へと接近することができる。そして、その中間項は、人によって異なるのだろうと思う。
ぼくにとってのそれは、幼いころは文学を読むという行為であったし、いまでは建築をみる(経験する)ことも大きくあると思う。
他にも映画や絵画をみること、走ること、ここにこうして文章を書くということも、中間項なのかもしれない。
いずれにしても、なんらか