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舞浜戦記・第1章【スプラッシュマウンテン:オープニング編】

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僕が舞浜のテーマパークにて勤務していた時の記憶と記録を再編集しました。 本編は僕のキャスト歴の初期に相当し、一人のキャストとして修行中だった期間を中心に語ります。
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#東京ディズニーリゾート

工事中のクリッターカントリーはまだまだ未完成、そしてトレーニングは始まった:スプ…

新しいものが好きだ。 家電製品はピカピカだし、服はシワもなければシミひとつないし、本はイ…

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水路内を歩き、初めて乗ったボートは無音だった:スプラッシュ・マウンテン003

水路内のウォークスルー僕らはトレーニング中に、日を追うごとに内部へ入る機会が増えて、あち…

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初登場のコスチュームは必ず笑いものになる運命にある:スプラッシュ・マウンテン004

もしあなたがディズニーキャストに憧れていて、念願の仕事につけたとする。希望していた職種に…

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初めての運営はキャストプレビューだった:スプラッシュ・マウンテン005

1992年8月〜9月。 僕が当時のできごとをこまめにメモに書き残していたのは以前にも書いたが、…

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最初の僕らのスキルは、まるでシステムに追いつけていなかった:スプラッシュ・マウン…

どこにもない職業をやりたいと思った僕がキャストをやろうと思った理由の一つに、他のどこにも…

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『南部の唄』試写会とサプライズゲスト:スプラッシュ・マウンテン007

突然だが、ごく普通のキャストがディズニーのキャラクターと一緒に写真に写ることが、ありえる…

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スニークオープンはドキドキの終焉であり本番へのステップだ:スプラッシュ・マウンテン008

ぎこちない僕らのアトラクション運営も、その後のキャスト・プレビューとスニークオープンを経てだんだん磨かれていった。 とりあえずプレビューは一日3時間限定の運営であり、全部で4日間用意されていた。9月7〜10日。そして9月11日からは一般公開する。 といっても、正式なオープン日は10月1日だ。 パーク内の、クリッターカントリーの入口を塞ぐ茶色い壁にも「10月1日オープン予定」と書かれていた。 それまでの約3週間は、スニークオープン(ソフトオープンとも言う)と呼ばれた。 こ

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さあ、お祭り騒ぎだ!オープン初日がやってきた:スプラッシュ・マウンテン009

スプラッシュ・マウンテン最大のイベントと言えば、やはりこの日をおいて他にない。1992年10月…

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システム調整は波乱の幕開け:スプラッシュ・マウンテン010

正直、この一連の回想録は、非常に地味で面白味が少なく、派手さに欠けると思っている。しかも…

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10月9日はオープニングキャストにとって史上最悪の日:スプラッシュ・マウンテン011

本編を理解しやすくなりますので、先にこちらをお読み下さい。 「あの日」とは、オープニング…

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マニュアルと、僕がオープニングリードを尊敬する理由:スプラッシュ・マウンテン012

前回、非常に重い話を書いたので、今回はちょっとライトな話をします。 SOP(Standard Operat…

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最高の大人気リードからの助言、そして僕はトレーナーに選ばれなかった:スプラッシュ…

お祭り騒ぎは混乱と共に駆け抜けて行った。 熱狂と混乱と共にオープンしたスプラッシュではあ…

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我が模範トレーナー・タカオさん:スプラッシュマウンテン014

今回は、僕が歴代最も素晴らしいと評価していた、理想のトレーナーについてお話しよう。 ★ …

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才能とは、勝ち取るもの?:スプラッシュ・マウンテン015

今回はネタ抜きなので、面白くないですよ(笑)。 スプラッシュマウンテンがオープンした当時の僕が、自分自身のキャストとしての能力をどう捉えていたのかというと、 「才能がないから大した奴じゃない」 それが実際の評価だろう、と考えていた。 前にも書いたが、テーマパークには眩しいくらいの才能を備えたキャストが、まれにいる。 まるでキャストになるために生まれてきたような、実に素晴らしい対応をする人だ。どんな時も笑顔を絶やさない。挨拶が晴れ晴れしい。絶対に手を抜かない。上司から絶大

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