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舞浜戦記・第1章【スプラッシュマウンテン:オープニング編】

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僕が舞浜のテーマパークにて勤務していた時の記憶と記録を再編集しました。 本編は僕のキャスト歴の初期に相当し、一人のキャストとして修行中だった期間を中心に語ります。
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#TDL

小動物の郷(くに)の片隅から眺める日々:スプラッシュ・マウンテン000

1 闘いの幕開けと、マイ・フェイバリットシーンスプラッシュマウンテン。 この言葉を、僕は…

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身長制限の違いが生む喜劇と悲劇・幼児もまた、闘っているのだ:スプラッシュ・マウン…

僕はランドにある代表的な、いわゆる三大マウンテンのキャストを経験している。スペースマウン…

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工事中のクリッターカントリーはまだまだ未完成、そしてトレーニングは始まった:スプ…

新しいものが好きだ。 家電製品はピカピカだし、服はシワもなければシミひとつないし、本はイ…

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水路内を歩き、初めて乗ったボートは無音だった:スプラッシュ・マウンテン003

水路内のウォークスルー僕らはトレーニング中に、日を追うごとに内部へ入る機会が増えて、あち…

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初登場のコスチュームは必ず笑いものになる運命にある:スプラッシュ・マウンテン004

もしあなたがディズニーキャストに憧れていて、念願の仕事につけたとする。希望していた職種に…

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初めての運営はキャストプレビューだった:スプラッシュ・マウンテン005

1992年8月〜9月。 僕が当時のできごとをこまめにメモに書き残していたのは以前にも書いたが、…

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最初の僕らのスキルは、まるでシステムに追いつけていなかった:スプラッシュ・マウンテン006

どこにもない職業をやりたいと思った僕がキャストをやろうと思った理由の一つに、他のどこにもない仕事をやりたい、というのがあった。 飲食店や物販の店舗、事務職などは世界中どこにでもある。 しかしディズニーのテーマパークのアトラクションは世界中、ここにしかない。スプラッシュ・マウンテンは当時、カリフォルニア・アナハイムの一列に腰掛ける形状だったし、フロリダのディズニーワールドはこちらと同時にオープンした。 動画を探せば見られるけど、ワールドのスプラッシュは日本のTDLのとは構造

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『南部の唄』試写会とサプライズゲスト:スプラッシュ・マウンテン007

突然だが、ごく普通のキャストがディズニーのキャラクターと一緒に写真に写ることが、ありえる…

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スニークオープンはドキドキの終焉であり本番へのステップだ:スプラッシュ・マウンテ…

ぎこちない僕らのアトラクション運営も、その後のキャスト・プレビューとスニークオープンを経…

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さあ、お祭り騒ぎだ!オープン初日がやってきた:スプラッシュ・マウンテン009

スプラッシュ・マウンテン最大のイベントと言えば、やはりこの日をおいて他にない。1992年10月…

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システム調整は波乱の幕開け:スプラッシュ・マウンテン010

正直、この一連の回想録は、非常に地味で面白味が少なく、派手さに欠けると思っている。しかも…

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10月9日はオープニングキャストにとって史上最悪の日:スプラッシュ・マウンテン011

本編を理解しやすくなりますので、先にこちらをお読み下さい。 「あの日」とは、オープニング…

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マニュアルと、僕がオープニングリードを尊敬する理由:スプラッシュ・マウンテン012

前回、非常に重い話を書いたので、今回はちょっとライトな話をします。 SOP(Standard Operat…

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最高の大人気リードからの助言、そして僕はトレーナーに選ばれなかった:スプラッシュ・マウンテン013

お祭り騒ぎは混乱と共に駆け抜けて行った。 熱狂と混乱と共にオープンしたスプラッシュではあったが、日を重ねるに連れ当初の興奮も収束していった(混雑ぶりはまだまだ収まらなかったが)。 徐々にではあるが、普通の人気アトラクションへと沈静化する気配を見せ、やがて安定期へと移行しようとしていた。 立ち上げのために集結したオープニングリード達は、10月に入り早々に異動が始まっていた。新アトラクションが完成してしまえば用済みとでも言うように、矢継ぎ早にリード達はスプラッシュを去って行っ

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