まるで、りんごの酸味のような
りんご箱に入った大量のそれを、まるで親の仇かのように睨みつけて、あたしりんご嫌いなのよと彼女は吐き捨てた。
なんだかどこかで聞いたことのあるセリフだとぼんやり思ったが口には出さず、ふーんとだけ答えてさてこの大量のりんごをどうしようかと、考えを巡らせる。
りんごが嫌いな理由をつらつらと並べ立てる彼女の話は半分聞き流し、できるだけ袋に詰め込んでご近所へ。
「よかったら、どうぞ。たくさんもらったので」
「あら、ありがとう」
そのやりとりを何度か繰り返し、やっと軽くなった袋をたたんで、のんびりと歩く。このまま、晩ご飯の買い出しに行ってしまおうか。どうせ、帰ってもあの不満そうな顔しか待っていないんだし。
彼女と初めて会ったのは、穏やかな昼下がりだった。思いのままに休日を過ごしていた私は、いきなり現れて父の愛人だと言うその女性に面食らった。
真面目が服を着てるような人、それが私の父だ。知る限り、両親にそういう影のようなものはなかったはずだ。いや、もしかしたら私に見せなかっただけかもしれないけど。
どちらにしろ、もう二人ともいないのだから確かめようがない。真っ向から馬鹿らしいと否定する私を、彼女は鼻で笑った。なんにも知らないくせに、となんだか傷ついた顔で笑った。
とにかく帰れと追い出し、その日はそれで終わった。もしほんとに不倫してたのだとしたら、あんたが傷つくのはおかしいだろ。ふざけるな。怒りと混乱と、やけにちらつく両親の最期。
突然の事故で、母は逝った。数年後、まるで後を追うように父が病気で急逝した。私の思い出を壊す権利なんか、誰にもないはずだ。
怒って怒って、怒りがやっと収まったとき再び彼女はやって来た。事情は分かっていた。分かりたくはなかったけれど。ほんとはしたくなかったけど、どうしても何があったのか知りたかった。あんなわけの分からない女からではなく、父の言葉での説明が欲しかった私は、父の日記帳を引っ張り出した。
ー妻に触れられない。
母は、私が産まれてから父との関係に悩んでいた。どうしても、父に触れて欲しくなかった。産後、割りとよくあることらしいそれは、しかし両親に物理的な溝を作った。話し合っても解決策はなく、カウンセリングに通ったりもした。
その間に、一度。たった一度だけ、父は過ちを犯した。母は、それを許した。そこまで知ったから、私の怒りは収まった。両親の間で決着したことなら、私がどうこう言うのはおかしい。
「キミコさん、だっけ」
「悔しかったのよ。自分がしてしまったことに傷ついてるような顔をして、ずるいと思ったの」
「…そっか」
なぜかそれから、急に現れるようになったキミコさん。特に何を話すでもなく、ときに一方的に語られ、邪魔ではないが鬱陶しい、そんな関係性が出来上がってしまった。
父の、一夜限りの愛人。何がそんなに不満なのか、いつも仏頂面を抱えたよく分からない人。
「ま、実はアレ私にしか見えてない人なんだけどね」
風が吹き抜ける。
いい天気。青空と彼女のコントラストは、見える私にしか分からない。まだいるかな、思いきり笑ってやろう。まるでりんごの酸味のような、私の知らないその人生を。
了
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