寄生者、あるいは人生代替者の帰還
――契約の完了が確認されました。帰還の許可が下ります。おめでとう。
どうもおかしいな、と思いながら俺は深夜の入院棟の廊下を裸足で歩いている。薄青く暗い常夜灯、微かに聞こえるピッ、ピッと言う計器の電子音。慣れ親しんだ夜の病院の気配。
なんで俺はこんなところをうろついているんだろう。帰らなくては。そうだ。帰らなくては。……どこに?
俺は頭を傾けた。こうしてみても何ひとつ浮かばないが、とりあえず考えるポーズをとっている。誰が見てるわけでもないのに。数十秒そうしてみた。頭の中の記憶がまったくの空っぽだと言うことが上手く理解できない。もどかしい。
まいったな。困惑しながら、溜息を吐こうとするが息が口から出て来ない。おやと思ったら急に息苦しさを感じた。喉が詰まる。喉に詰まっている。
必死に喉あたりを手で探ると、穴が空いていた。穴のへりの感触が肉っぽかった。その奥は粘膜だ。穴にはガーゼが詰め込まれている。指で引っ張り出すとべっとりした感触があって思わずベッと廊下に捨てた。やってしまってからじわじわ罪悪感が湧いてきたが、それで息は楽になった。そう。俺は首の穴から呼吸をしているらしい。そんなことあるか?と思ったが、実際そうなのだ。スー、スー。息が出来る。良かった。
「おやじ!!」
前方に汗だくの中年男。まるでとおせんぼするみたいに両腕を広げている。まばらな頭髪が地肌に汗で貼り付いていた。腫れぼったげな目を剥いて、声はか細く震えている。青褪めて見える顔色は常夜灯のせいだろうか。
「……どうしたんだよ、あんた、どこ行く気だよ……!?」
中年男はまるでちっちゃい子みたいに顔をくしゃくしゃに歪ませた。
……泣くなよ、俺は帰りたいだけなんだ、と言い返そうとしたが、俺の口からは声が出ない。ぱくぱくと口は動くし舌も動かせるが、それだけだ。
俺にはそもそも声帯がもう無いのだと言うことをまず思い出した。
【続く】