その3|こころの中で育つ、そうぞうの種

ユミさんのご自宅では、お弟子さんたちと同じようなルーティーン(生活と仕事のサイクルが時間でだいたい決まっている)で過ごしました。

当時、ユミさんのお弟子さんは3名、ユミさんの旦那さん(テッペイさん)のお弟子さんは4名ほどいたように思います。ちょうどテッペイさんが沖縄にご出張で私の滞在期間中は残念ながら不在でした。

ちょうどユミさんのお弟子さんのうちのひとり、まりぼんさんが出産されたばかりで私の周りの世話は雪乃さんというお弟子さんがみてくれました。

1日のはじまりは9時、8時半に居候のわたしはごはんを食べさせてもらい、9時にみんながやってきます。

犬の散歩(2匹いた)や台所の床の掃除機掛け、お昼の準備(お昼どきはお弟子さん+ユミさん、テッペイさんで床でみんなで食べる)を手分けしてやります。

10時ごろには布仕事や、土仕事(テッペイさんの仕事はうつわ作り)に向かうので、いっしょにそちらの仕事先に向かったり、ユミさんのしら、たま、だんごの田んぼに鶏糞(けいふん)や米ぬか(だったとおもう)をまいたり、わたしにもできることをやらせてもらいました。

猫が4匹もいて、外の行き来自由、おうちと仕事場にも自由にうろちょろしていてとてもかわいかったです。

お弟子さんたちは、ユミさんの元で仕事をみて学び、手伝い、自分のつくりたいものをつくりお互いに切磋琢磨しているようにみえました。くらしとしごとがあるなかで、食べるがまんなか、台所を中心にみんなが集まりものづくりを志すエネルギーがごうごうとうず巻いていました。

わたしは10年間、大学を卒業してから手を動かして何かを創作することをすっかりやめていました。いや、作品をつくるということをみずからの意思でやらないことを決断していたんです。大学卒業間際にはいますぐ卒業して社会に出て自立したいと考えていました。

ユミさんのお弟子希望の場合は滞在期間中にのいま作っているものをもっていくのが条件でしたが、わたしはなにもないので、10年前の大学入学時(高校生のときにつくった作品)のポートフォリオと、大学在学時の少しのポートフォリオをもっていっただけでした。

ほんとうにものつくりの作家になりたいのか?を決めきれないまま、4日目の夜が経とうとしていました。さいごの夜です。まりぼんさんに「ユミさんの弟子になりたいの?」と強く夜ごはんのときに問われました。口調がストレートでした。

私は弟子になりたいのか、衣食住を自分で作りたいのか、ものづくり作家になりたいのか、をうまくつなげられずにいました。まだ覚悟とか気持ちとかが定まっていませんでした。


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