灰色のフワフワ

ある暑い夏の日。
玄関前の、砂利に紛れて、何か落ちてる。

ねずみ?死んでる?

近づいてみると、雛鳥らしき生き物だった。

横たわってはいないものの、天を仰ぐように嘴は上を向き、目は閉じてしまって虚虚ろしている。

炎天下の砂利の上…
ひとまず、地面の温度を下げる??

人は想定外の状況を目の当たりにすると
(ましてや生命体の生き死にに関わるような状況だと)
時に、よくわからない、非効率な行動を無意味に選択してしまう事がある。

私はその雛鳥らしき灰色のフワフワを避けるように、ゆっくりと地面に向かい雨を降らせた。

コップに入れた水を、ちろちろ、と。

…ああ、なんて無意味な行動なんだろう。
こんな暑いのに、コップの水程度じゃ気温なんて到底下がりっこない。

灰色のフワフワ側だって、虚ろながらも呆れ気味だ。

「こいつ、何したいんだ?」

いや、君を助けたいのだよ…

色々考えた結果、割り箸を使って、
灰色のフワフワを日陰に移動させる事に成功した。
むやみやたらに触ってはいけない。野生なのだから。
考慮した上で、割り箸で丁寧に運んだ。
つままず、すくうようにして。

それにしても、このフワフワの正体は一体何なのか。

オッケーGoogle、この灰色のフワフワについて教えて!

どうやら、ムクドリという鳥の雛っぽい。
たぶん、巣から落ちた。

しかし、落ちている野生の鳥に人間が手を出すことは(つまり、助ける事は)
どうやら御法度らしいと言う事も同時にわかった。

え?!助けちゃダメなの?!

野生の鳥は、産まれた瞬間から大人になる前までに、一定数死ぬ事が決まっていて、
その一定数の割合を変えてしまう事は、地球全体の生態系全般に影響を及ぼすという、
なんとも壮大な話しが、そこには書かれていた。

オッケーGoogle、理解はできるわ。
でも、それって人間も同じだったのでは?

そんな哲学的な問いがふと浮かんだ事は
そっとみてみぬふりをして。

さあ、目の前のこの子を、
助けるの?ミステルノ?

私はずるい。
助けるわけでもミステルわけでもない
グレーゾーンで関わりをもつ事に決めた。

ルールはこうだ。

家には、入れない。
あくまで、玄関前の日陰に、その辺に落ちてた葉っぱを入れた虫かごを設置。

蓋はせず、いつでも飛び立てるように。

蜂蜜を食べるようで、割り箸の先に蜂蜜をつけて舐めさせる。

ただ、それだけ。

飼ってません!(だめ、ですから!)
割り箸に蜂蜜をつけておいてありますが、
雛だけではなく、蟻も喜んでおります!

そんな状況が、精一杯だった。

名前だけは付けてはいけない。
愛着を持ってしまったら終わりなのだ。

しかし、この灰色のフワフワが「ピーコ」という名前を手に入れるまで、そんなに時間は掛からなかった。

私はもう、負けている。

しばらくすると、親鳥がピーコの存在に気付いた。
ピーコも少し回復して、大きな声でピーピー鳴いている。

親鳥は、私の前に姿を現す事はなかった。
あくまで、私がみてない隙に、ピーコに食事を与えに来ているようだった。

ピーコの体調には波があった。
元気な日には飛ぶ練習をし、
一方で、出会った時のように嘴で天を仰ぐ事もよくあった。

しばらくして、ピーコは死んだ。

野生の中で生き抜けるほどの丈夫さや器用さ、頭の良さなど、見てる限り全く持ち合わせていないような子だった。

そのぶん、愛嬌と、まぬけさと、ほっとけなさ。
鳥のくせに、人間の母性までくすぐってくるような何かがピーコにはあった。

私は喪失感の海に溺れて、わんわん泣いた。
声を出して、子どもみたいに泣いた。

一方で、本来なら手を出してはいけないとわかっていながら手を出している…
そんな罪悪感からも開放された。

今度はちゃんと、堂々と飼える生き物と一緒に生きてみたいな。

そんな思いがこみあげてきた。


つづく。




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