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現実は、どんな知識よりさらに上をいく

昨年、オットの母が亡くなりました。
私が知らされたとき、既に義母は余命3ケ月と言われていました。

ライターという職業柄もあり、
終活、生前整理とか、遺品整理とか、知識としてはありました。
こういった仕事に強いミッションを抱いて携わっている方たちを知っているから。

でも、どんなに前もって知識を得ていたとしても
リアルな現実は、どんな優秀な講師にも教えてもらえなかったと思います。
人それぞれなのは当たり前だから。

娘①の受験話を書こうと思っていたのですが、
こっちの方が強烈過ぎて、どう発信していいものかと
でもこれを書かずには進めない気がして
思いめぐらせているうちに、季節は夏を迎えてしまいました。

知った時には、もう年は越せないと。

オットから、「ちょっとうちの母さんのことで話がある」と切り出されたのはちょうど去年の今頃でした。

春頃に、義弟の友人(オットの実家の近所に住んでいる)から、オットに電話があり、義母とたまたま道で会ってどうやら病院帰りだったようで。
心遣いから電話をくれたようでした。

オットが後日電話を入れ、その時はまだ命に係わるといった病状ではなかったそうですが、夏ごろ急に悪化し、そこでオットに義母から連絡が入って・・・という経緯でした。

義母は息子であるオットや嫁に出来るだけ迷惑をかけたくないという気丈な性格で、オットを含め”そのこと”を知ったのはもう何も出来ることはない、というタイミングでした。

主治医の先生からは「年が越せるかどうかくらい」とのことだったそう。

「家のことで、母さんがアキコに話しておきたいことがあるんやって」と病院に呼ばれました。

義母が住んでいたオットの実家の片付けをするのは、アキコさんだから、と。(さすが、その辺分かってますよね)

義母に会う前にまず家がどんな状況なのかを把握しとかないと・・・と、気が進まないながらもまず実家に行きました。

なんと、2階は見事にほぼほぼカラっぽで、家具の中身もカラッポ。
空き家のようにガラーンとしていました。

見事な義母の終活

自分で用意したエンディングノートを持っていた義母。
物の処分や家のメンテナンスや、これは新しいこれは古いなど、思いつくままに、いろいろと書いてありました。

遺影も70歳の誕生日の記念に?撮った、と用意されていました。
(お葬式では、いい写真やとみんな褒めていました)

・自宅での葬儀希望
・お葬式の業者指定、連絡先、湯かんの指示((あと数日・・・というときに、事前に問合せていろいろ聞けた)
・お葬式衣装(自分の留袖と草履)、布団も一カ所にまとめて用意
・義父のお葬式の写真と同じように白い花で
・戒名(これは義母のオリジナル?で笑、自分で考えてお位牌まで用意されていました…義母を良く知るお寺さんも、もう笑ってOKしてくれました)

結構細かな点まで指定されていたので、おかげで一切迷うことなく困りませんでした。

よく「悲しみに浸る暇がない」と言われるお葬式。
コロナ禍の中で、家族だけでしたが、ゆっくり過ごすことが出来たのはこのおかげだと思います。

唯一揉めたこと

私とオットで意見が分かれたのは、「死に顔を子供たちに見せるか」。
私は自分の親なら最後にお顔を見たいと思います。

でも、義母とうちの姉妹はそこまで親密な間柄ではなく、しょっちゅう会っていたわけではありません。

お亡くなりになった日の翌日が友引だったため、翌々日がお葬式だったため、少しずつ身体や顔の変色が進み、まだ小学生の娘たちがどう感じるか。

特に娘②はこわがりで、いろいろ感じやすく、
受験を控えた娘①にも、これからいろいろナーバスな時期になるため、
素敵な遺影もあることだし、この笑顔のいいお顔の義母が、娘たちの記憶に残ったらいいんじゃないか、と私は思っていたのですが・・・

オットは、「家族なんだから」「最後だし」と娘たちに見て欲しいという想いが強く、ちょっと「え・・・(このマザコンが!)」と思っちゃったyo!

一生恨まれてもいいから、子どもたちに義母の死に顔は見せないと決めた

うちの姉妹は、かつてUSJのハロウィンナイトで、ゾンビを間近で見て、パニックになったことがあります。

姉妹揃って、その晩は眠れず、娘②はしばらくうなされたり、眠る前に、ふと思い出して眠れなくなることが何度もありました(無理やり連れて行ったのは私w)

アトラクションと一緒にするな!と言われるかもしれないけれど、元気だった義母とはもう違う姿になっているわけで、これからの二人のメンタルにどっちがいいのか・・・

実は私も中学生の時に、部活の先輩が事故で亡くなり、列席したお葬式で流れのままにお顔を拝見したことがあるのですが、どなたかの死に顔を見たのは初めての経験で、しばらくそのお顔がふとしたときに浮かんで怖かった記憶があり、そういう経験をしたからこそ、冷静に考えられたんだと思います。

正解はいまだに分かりません。

将来「あの時、最後にお顔を見ておけばよかった」と娘たちに言われたら、責任は私にあるし、本人たちのお叱りは、甘んじて受けよう、と決意しました。

しかし。
オットが意外としぶとく、本人たちに決めさせたい、とかいうわけですよ。

ここで大事なのは、誰目線かってことですよ。

自分が、自分の母の最期を娘たちに見送って欲しいという気持ち。
親への思慕、純粋に自分の母の顔を見せたくないと言われたらどういう気持ちになるか。

その気持ちはもちろん分かります。
めっちゃひどい嫁だと思います。
私が逆に自分の母だったら、泣いてキレるかもしれない、ってゆーかキレると思う。

でも、今、オットは冷静じゃなくて。悲しみの中にいます。
娘たちに与える影響まで冷静に見据えることが出来ていない。
もし何かあっても乗り越えて欲しい的なことを言うのですが、それって、時間をかけることが出来るなら私もそうだね、って言えたかもしれません。

でも、受験を目前に控えた娘①にとっても、
来年受験生で、いろいろ感じやすい娘②にとっても、
写真の向こうで笑っている義母を最後にしてほしいと
後で何と言われてもいいから、私が恨まれる覚悟を決めました。

めっちゃ険悪になったのを鮮明に憶えています。

私のことをどう思ったか、聞いたこともないし、聞く必要もないと思っていて、今となっては分からないけれど。

「ひー(娘②)はこわがりだから、見なくてよかったかもね」とポツリと言ったので、多少のわだかまりはあっても、オットも自分の想いに折り合いをつけてくれたのかなと思います。

立場が違うし、想いも違う。
オットの気持ちを尊重してあげたいと思っても、覚悟を以て譲れないこともあったりと、これは私にとってなかなかキツイ出来事でした。

その場に流されてしまったり、悲しみの中で冷静な判断が出来ず、知らぬ間に将来後悔することに繋がったかもしれなかったことだと思います。

いろいろあったことを、こうして振り返ってみると、やっぱり義母は見事でした。
どちらかと言えば、私たちが困ったことは、私たち側の問題で、義母はほとんど私たちに困りごとを遺さず逝きました。


想いを共有出来ても、同じ気持ちにはなれない

オットはきっと私にも同じ気持ちでいて欲しいと思ったと思いますが、そこは私も申し訳ないなと思っていて、私たちにそういうわだかまりが残りました。

いくらオットのことを大切に思っていても、全部が全部同じように感じたり優先させたりすることは出来ないんだな、と感じました。
ちょっと他人感を感じてしまったような気がします。

故人の完璧な生前整理でも、こういった遺された側の問題までは及ばない。

当たり前っちゃー当たり前なんですが、
どんな物理的なことや、その後の手続きをスムーズに準備してくれていたとしても、リアルに起こることまで、予想できない。

遺言があっても、生前の共通認識があっても、現実は現実

後日オットと義弟で相続手続きのための話し合いを経て、今は相続は着地したのですが、

生前義母が「こうしてね」と遺言書に書いていたことについて、弟にとってちょっと不利と言うか損な内容だったので、義弟から物言いがありました。

オットは「遺言にも書いてあるし、3人で話し合って決めたのに」と言ってましたが、ここでも義母の想いを優先させる人と自分の利益が大事な人と別れるわけです。(まあ逆の立場だったらどうだったか、と思うけど)

そりゃ義弟は平等に、と思うのは当然です。
でも、オットとしては義母と決めたことを義弟が守らないことがちょっと引っかかっていたようです。

まあ税理士さんの助言もあり、平等に着地させました。

やっぱり、現実は現実。

どんなに想いが強いとしても、生きていく人は現実を見据えていかないといけないんですよね。

そういう意味では、やっぱりオットは母親への想いが先行していて、目線がとちくるっていたように思います。

ドライな親子関係だと思っていましたが、
ここで初めてオットが結構お義母さんへの想いが強いことが今になって分かった次第です。

別にマザコンが悪いとは思わないし、男の人はやっぱりお母さんが大切なんだと思います。

ただ、こういう時に本当の気持ちが表に出てくるもので、全く予想外だったというのが私の考えです。

こんなこと、テキストにも本にも書いてないですよね、たぶん。
身を以てリアルな経験でした。

いつかやってくる私自身の父母のことも、物理的なことも、こういうメンタル的なことも含め、遠い日のことと思わずに、その時にベストな選択や行動が出来るように、覚悟もっていかなくてはならないな、と心の準備を始めることにします。

人はいつか必ず死ぬ。
でも、自分がどう死ぬかも大事だけれど
遺された人が、自分の死をどうとらえて、そのあとどう生きていくか、まで思いめぐらせていきたいと思いました。

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