見出し画像

それは淘汰なのかもしれないけれど

 行きつけのブティックからの、いつもより早いセール案内のハガキ。そこにはさらに手書きでこんな文章が付け加えられていた。

長年にわたりご愛顧いただき、心より感謝申し上げます。7/31(土)を持って閉店することが決まりました。

 ああ、とうとう恐れていたことが現実になってしまった。運営母体のアパレル会社が、ブランドの統廃合と大幅リストラを実施するという話を昨年末ネットで読んでいたので、大丈夫かなと思っていた矢先だった。銀座のデパートにテナントとして入っているショップだから、コロナ影響による落ち込みはかなりあったのだろう。担当のKさんはどうなってしまうんだろう——閉店のお知らせを読んで、とにかくそればかりが気がかりだった。

  Kさんとの出会いは30年ほど前になる。従姉妹が都内の有名ホテルで披露宴をやると知り、せっかくだからとちょっと背伸びして、友人から話を聞いて少し気になっていたブランドのお店にきてみたのだ。淡い色の可愛らしいお嬢様スタイルな服が多数を占めるなか、やはり場違いだったのではと思いはじめたとき、当時そのブランド担当だったKさんに声をかけられたような気がする。細かいやりとりは忘れてしまったが、結果として、そこのブランドとは思えないシンプルな黒のワンピースとロングボレロのセットアップと、華やかさを添えるためにコサージュもあわせて購入した。そのブランドらしからぬ服が欲しいという困ったリクエストに応えてくれたショップスタッフ、それがKさんである。Kさんと私は歳も近かったが背格好が似ていたので、別のスタッフさんから「ほら、あなたに似たお客さん(私のこと)が来てたわよ」といわれたことがあるらしい。
 そのあとも3ヶ月〜半年に一度ぐらい、Kさんに見立ててもらいながら、いかにもそのブランドらしいデザイン「ではない」服を買うようになった。ある年の冬はダウンジャケットを買うかどうか悩み、3時間近くお店に居座ったこともある。若かったとはいえ、本当に大迷惑な客以外のなにものでもなく、いま思い出しても申し訳なさでいっぱいになる。
 やがてそのブランドとアパレル会社との契約が解消され、Kさんは別ブランドへ配置転換となった。このとき、ここのお店はお客さんに対して担当のスタッフがついて、その人の希望を聞きながら服をおすすめする方法なのだと気づいた。この店に足を運ぶきっかけを作ってくれた友人は、担当のスタッフさんが退職して、新しい人に変わったが勧めてくれる服のテイストがどうもあわないといって、店そのものから足が遠のいてしまった。コロナ前は服で困ったときの駆け込み寺のように利用していたので、同じようにKさんが退職したら困るなと思っていたのだ。

 そうこうしているうちに7月も中旬を過ぎ、閉店の日が近づいてきた。さすがに最終日では買うものも少なくなるだろうと思い、24日に行くことにした。いつもの通りデパートの7階に足を運ぶと店が見当たらない。案内板を調べたら4階へ移動になっていた。しかも前の場所より狭くなっていて、規模を縮小して営業しているのが明らかにわかる。ほどなくKさんと会い、お店の隅で今回の閉店と今後の説明を聞く。ここで扱っていたブランドは地方の一部店舗のみでの扱いになること、働いていたスタッフは他の店への配置転換はなく、ここでおしまい(解雇)になること——。「ほんとうは定年まで働きたかったんたんだけど」そんな言葉を聞いて泣きそうになったが、ここで泣かれてもKさんが困るだろうと思い、ぐっと堪えた。マスクをしていたおかげで顔の細かい表情が見えなくてよかったと心の底から思った。
 説明を聞いたあとは気持ちを切り替えて、最後の買い物にのぞむことにした。普段まったく着ないものを買ってもしかたがないので、通勤にも使えそうなワイドパンツと軽めの羽織ものがないか、ざっと棚を見る。いくつか気になったデザインのワイドパンツがあったので、さっそく試着してみることにする。2本ほど試着をしてみるが、実際に着て、鏡をみると「悪くもないけど良くもない」状態である。既に持っているパンツと雰囲気が似ているというのもあるのかもしれない。試着をした状態でKさんに見てもらう。
「うーん、ちょっと待っててくださいね。他にないか探してきますんで」やはり微妙だったらしい。少し待っていると「こちらを持ってきたので試してみますか?」手渡されたのは黄土色のワイドパンツ。店の照明のせいか黄色味が強くて、派手に見える。自分ではたぶん選ばないタイプの色だ。テロっとした素材のせいか、丈も少し長くて、引きずってしまうのではと思いながら試着をする。実際に着てみると色の派手さはそれほど気にならず、丈もぴったりで裾を引きずるようなこともなかった。「第一印象はイマイチの服でも、着てみると印象がガラリと変わる」ということが、Kさんから提案された服では何度もあった。その度に「好きな服と似合う服は違う」と思うが、次回来店のときにはすっかり忘れて、やはり自分の好みにあった服を最初に手に取ってしまう。そういうとき、ちょっと違うテイストのものを提案してきてくれる存在のありがたさをひしひしと感じる。今日でそれも終わりかと思うと、とても残念でならない。もうこんな風に買い物することもないんだと思うと、ついあれこれと買ってしまっていた。

 買い物が終わって、帰り際に「来週の最終日にまた来ます」とKさんに伝えた。店の最後の日をやはり見届けたいと話しているうちに思ったのだ。

 その日はあっという間にやってきた。一週間後の最終営業日。いままでの感謝の気持ちというにはあまりにもささやかな品を手に、再びお店に向かう。先週と同じようにKさんが出迎えてくれる。お店の商品はさらに減っていて、いやがうえにも今日が本当に最終営業日であることを突きつけられる。お客さんも最後だからと挨拶に来ている人がそこここにいる。服は先週まとめて買ってしまったので、ちょっとしたアクセサリーでもと思って小物が置いてある棚やショーケースを眺める。するとこれからの季節に良さそうなブラウンのネックレスを見つけた。チョーカー部分が金属ではなく紐でできているので調節もしやすい。しかもペンダント部分はリバーシブルになっているので服に合わせて変えることができる。

 この店での最後の買い物にぴったりな気がして、購入することにした。お会計が終わって包装済みのネックレスを持ってきたKさんにお世話になったお礼のお菓子を手渡した。買い物が済んで店の外まで見送りながらKさんがこう言う。「〇〇さん(私の名前)とは、楽しい想い出しかないから」涙腺が緩みそうになるのをまたまたぐっと堪えて、こちらもいままでのお礼を述べて別れた。

 頼れるお店も人もなくなってしまったが、しばらくはここで買った洋服が活躍してくれるだろう。そしてKさん、30年にわたり服人生を支えてくれて本当にありがとうございました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?