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すれ違えない私たち

 妹から(半ば強制的に)勧められたコンピレーションCDをなんとはなしに聞いていたところ、力強いトランペットからのたたみかけるような女性二人の勢いある歌声の曲が始まった。歌詞が音の塊にしか聞こえないので(のちにフランス語で歌ってることがわかった)、歌詞の内容はさっぱりわからないが、元気な声と多幸感あふれるメロディーにすっかり魅了された。曲名をあらためて確認したが、これもフランス語で書いてあってよくわからない。どうやら映画の中で使われた曲らしく、そのタイトルが曲の横に書いてあった。それがミュージカル映画「ロシュフォールの恋人たち」との出会いである。そして、この元気いっぱいの曲の邦題は「双子姉妹の歌」であることをのちに知った。
 公開から50年以上経っている映画だが、監督ジャック・ドゥミ、音楽ミシェル・ルグランなので、たまにリバイバル上映が行われたりしていたが、なかなかタイミングが合わず、見ることができなかった。今年になって、Amazonプライムで検索したらリマスター版(字幕付)が入っていたので、ようやく見るチャンスに恵まれた。2時間半と今の映画と比べても長いほうに入るが、物語が進むテンポが今と比べるとゆったりとしていて、正直見ていてツラい部分もあった。再生速度を上げて見てしまいたくなる誘惑にかられたが、そう感じた時はいったん再生を止めて、また別のときに見るようにして、何回かに分けて見終えた。

 フランス南西部の海辺の街ロシュフォール。年に1度の街の祭りにあわせて歌と踊りのキャラバンがやってくる。この街に住む双子姉妹のソランジュ(姉)、デルフィーヌ(妹)とその母親の三人三様の恋愛模様がルグランの音楽にのって描かれる。もちろんミュージカル映画なので作中で突然歌ったり、踊ったりが始まるが、ロシュフォールの街並みがまるでセットのようなので、映画というより舞台を観ているような感覚で不自然さは感じなかった。目を引くのは主役の双子姉妹を演じるカトリーヌ・ドヌーブと実姉のフランソワーズ・ドルレアックの衣装だ。60年代のファッションはいま見ると一周回ってとてもおしゃれに見える。特に印象的なのは双子の姉が年の離れた小学生の弟を学校へ迎えにいく時の服装だ。ラベンダーのワンピースとお揃いで作られたつば広の帽子に一面に豪華な花飾りがあしらわれている。生活感のあるリアリティより、主役を美しく見せるための徹底ぶりがかえって清々しい。その一方で今との感覚の違いを見せつけられるシーンもいくつかありった。主役の双子姉妹しかり、その母親しかり当然のようにタバコを吸う。昔はタバコを吸うのがカッコいいと思われていた時代だったなあと改めて感じた。もうひとつがお酒に対するもので、家族と友人知人が集まっての食事会で弟(小学生)が寝込んでしまったのを見て、「ボトルを半分あけるからよ」「シャンパンを飲んだら子守唄は必要ないわ」というセリフにギョッとして、このころは映画でも未成年者の飲酒に対しておおらかだったのだと感じた。

 先に「双子姉妹とその母親の三者三様の恋愛模様」と書いたが、姉のソランジュと母親には相手となる人物が早々に現れるのだが、妹のデルフィーヌには一向に現れない。もちろん映画を見ている観客には妹の相手になるであろう人物が提示されるが、デルフィーヌはその相手を具体的に認識することもなく、また同じように相手も彼女のことを「どこかにいる運命の相手」ぐらいにしか思っていない。お相手は双子姉妹の母親のカフェにたびたびやってきて、母親とは顔見知りなのだが、双子姉妹と出会うことはなく、徹底的にすれ違う。母親のカフェで出会えそうな瞬間があるのだが、これも絶妙な運命のいたずらによって出会えないまま終わってしまう。最後の最後にデルフィーヌとその相手がやっと出会えそうなことを予感させて物語は終わるが、一から十までセリフで状況や心情を説明していまう今だからこそ、余計に余韻の残るいい終わりかただと感じた。

 しかし見終わったあと、「こんな風に徹底的にすれ違うのは、今ではもう不可能なのでは?」という思いが頭をよぎった。例えば映画の中でこんなシーンがある。デルフィーヌの相手となる人物はロシュフォールに駐留している水兵のマクサンスという青年だが、本当は画家志望でもうじき除隊でパリに帰る予定だ。兵役中でも絵を描くのをやめずに、この街の画廊に絵を置いてもらっている(もちろん絵は売れてない)。彼が理想の女性として描いた絵が偶然にもデルフィーヌにそっくりであった。そして画廊の経営者は実はデルフィーヌの恋人(しかし二人の関係はすでに破綻している)で、別れ話をしにやってきたデルフィーヌはマクサンスが描いた理想の女性の絵を見つけ、自分にそっくりな姿に驚き、誰が描いたのか尋ねるが、詳しく教えてはもらえずその場を去る。これがもし今の情報環境だったら、と無粋を承知で夢想してみた。自分とよく似た絵を見つけたデルフィーヌはスマホを使って絵のそばに貼られていた二次元バーコードから、マクサンスの開設しているWebサイトにアクセスし、この絵を描いた人物のことを知る。サイトから彼のSNSアカウントを知ったデルフィーヌはフォローを行い、彼の人となりを知っていく。そしてある日、デルフィーヌは勇気を出して彼にコンタクトを取るのだ。……かくも簡単に二人が知り合う状況が物語の中でできてしまう。いつのまにか人と出会うことが、こんな簡単にできるような世の中になっていたのだ。そんな世界のすれ違いは「リアルで会えるか会えないか」だけになってしまう。私たちはまだ見ぬ誰かに思いをはせながら、すれ違うということがもはやできない世界にいるのだ。

 と、最後にちょっとだけ小難しいことを書きましたが、映画自体は明るく楽しいミュージカル映画なので、少しでも面白そうだと思ったら肩ひじはらず見てください!

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