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「キャッツ」と私

 お芝居やミュージカルを観るのが好きだ。好きなミュージカルは? と問われたら迷うことなく「キャッツ」と答える。T・S・エリオットの詩集『キャッツ - ポッサムおじさんの猫とつき合う法』を元に、アンドリュー・ロイド・ウェバーが作曲を手掛けたミュージカルである。あらすじは、都会のゴミ捨て場で年に一度開かれる"ジェリクル舞踏会"。そこに参加するため集まってきたさまざまな境遇の猫たちは、再生を許され、新しいジェリクルの命を得る「ジェリクルキャッツ」に選ばれようと自分の生き方を歌や踊りで披露する。月明かりのなか、ジェリクルリーダーの長老猫が選んだ猫は―――というものだ。

※以下、作品の結末に触れる文章がありますので、ご了承願います※

 ロンドンで始まり、ブロードウェイでも話題のミュージカル、そして日本でも専用劇場を建ててロングラン公演を行うということで話題になっていた。初めて観たのは1983年12月末。劇場に入って驚いたのは舞台や劇場の壁がゴミで埋め尽くされていた。しかもゴミは猫の目線から見た大きさになっているので、空き缶やビン、靴といったものが、いつもよりはるかに大きなサイズで飾られており、それを見ているだけで、これからどんな風に始まるのかと期待でいっぱいになった。開演すると猫に扮した役者たちは舞台上を所狭しと動きまわり、神出鬼没にドキドキ(舞台のあちこちに仕掛けがあって、ゴミのセットの中から急に出てきたりする)させられて、あっという間の時間であった。目の前で歌い踊る姿に圧倒されて帰ってきた。特に気に入ったのが、鉄道猫の曲で、夜行列車に見張り役として乗る猫の話を軽快なメロディーに乗せて歌っている。曲の途中でゴミを機関車に見立てて出現させるのにも驚かされた。
 しかし、唯一納得できなかったのはジェリクルキャッツとして選ばれたのがグリザベラであることだった。もちろん観る前から、誰が選ばれるかを知ってはいたが、実際に観たあとに思い返すと、「なぜ彼女が?」という疑問が残った。かつて美貌を誇った娼婦猫グリザベラ。年老いた今はぼろぼろの毛皮で街をうろつき、変わり果てた姿を見た他の猫からは「まさか本当にこの猫が」「まだ生きていたのか」などさんざんな言われかたをされ、誰も彼女に近寄ろうとしない。実際、劇中でも彼女が舞台に出てくると他の猫が即追い払おうとするので、ちょっと舞台袖から出てきては引っ込むということが繰り返される。そして最後にジェリクルキャッツを長老猫が決めるその時に代表曲「メモリー」を歌って、ジェリクルキャッツに選ばれるという、いや、他の猫たちが歌い踊っていたのはいったいなんだったのかと思わせる横取りっぷり。また「メモリー」の歌詞も、他の猫たちの曲と違って、どんな猫だったのか、その境遇を説明する歌詞が全くなく、「過去に何かいろいろあったんだろうな……」と思わせるぐらい。いまの心情しか表現されていない歌詞なので非常にわかりにくく、私にとって初めて舞台で観た「メモリー」はなんか暗い曲という印象でしかなかった。そのあとしばらくしてキャッツのレコードを買い、休日によく聴いたりしていたが、他の曲に比べて「メモリー」は我慢してして聴く曲という位置づけだった。

 「キャッツ」はその後も順調にロングランを続け、福岡、大阪、名古屋、札幌と東京以外での公演が続いていた。これはしばらく東京での公演はなさそうだと踏んで、友人たちと大阪へ「キャッツ」を観に行く旅をした。劇場に到着して客席につけば、そこは都会のゴミ捨て場。一気にキャッツの世界に引き込まれる。開演するとすっかり耳に馴染んだ曲が次々と演じられ、猫たちの歌や踊りにすっかり魅了された。
 ミュージカルも終盤に差し掛かかり、グリザベラの「メモリー」が始まった。そして聴いているうちに歌にこう語りかけられたような気がしたのだ。「どうしてた?」「なにしてた?」と。もちろんそんな言葉は「メモリー」の歌詞にはない。けれども、歌の中でそう呼びかけられたかのように感じだのだ。初演から10年近く過ぎ、自分も学生から社会人へと環境が変わったことが影響して、そんなふうに感じたのかもしれない。また、歌詞の心情が歳を重ねたことによって少しは理解できるようになったのかもしれない。この体験から「メモリー」は暗い歌ではなくなり、その時々の自分を振り返る歌になった。

 それからというもの東京で公演が行われるときは必ず一度は観に行くようにしている。今年も6月中旬で東京公演が終了すると聞き、すべり込みでチケットを予約して観てきた。コロナウイルス対策の影響で、一部の座席には観客を入れていないところもあった。舞台が始まるとこれもコロナの影響なのだろう、神出鬼没の猫たちは客席を歩くことなく、舞台のある範囲から外には出ない演出になっていた。そして、お気に入りの鉄道猫の曲は夜行列車が特定の路線しかなくなってしまったので、歌詞の「夜行列車の旅は素敵〜♪」に対して、「そうはいっても夜行列車、もうほとんど走ってないよね……」と、好きな曲であることは変わらないが、雑念が入る状態になってしまった。こんな風に劇中に出てくるものが移り変わっても、「キャッツ」が上演される限り、これからも末永く見続け、その時の自分がこの作品から何を感じるのかを味わっていきたいと思う。

 最後にひとつだけ。もしこの文章を読んで「キャッツ」を観てみようと思う人がいたら、劇場四季の回し者ではありませんが、ぜひ舞台で触れてください(映画版は未見の人にはおすすめしません)。

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