第12話 腹膜播種手術後

今回は大きく左肋骨下を20cmほど切った事もあり、硬膜外麻酔も術後の点滴麻酔もやってもらった。
硬膜外麻酔も無事効いてくれたけど、起きたり寝返りうったりするときや腹筋に力を入れたときには痛みはもちろんあった。
しかし耐えられる痛みであったと記憶している。

しかしながら、術後、3週間でライブに出ているのだから、驚きの回復力だったのだろう。

1週間で退院してすぐにバンドリハにも参加してる。その時はメンバーたちがしばらくの間、私がキーボードの前に座っていることに気がつかなかったほどだ。

入院中は積極的に、とにかくよく歩いた。歩く事で体中が活性化し治癒力を高める、それを信じて。
翌日からの検査にも歩いて行くように言われていたし、トイレももちろん自力で行った。
当然、ベッドから起き上がるのは苦痛だったけれど、一日も早く回復し、年末のライブに出る!それを目標にがんばったのだ。

一番辛かったのは術後に初めて起き上がった時。

ひどい目眩と吐き気で倒れそうになったけれど、それを乗り越えたら後はあそこまで辛い事はやってこなかった。

最初のうちは同じフロアを点滴を引きながらよちよちと歩いていたが、点滴も外れると階段の上り下り、それも徐々に回数を増やしていき、最終的には一階から屋上まで何往復もできるほど回復していた。

ベッドでの軽い柔軟体操と、痛みを和らげるようにヨガの呼吸法を行うことも取り入れた。


退院後は家の前の遊歩道を寒い中お散歩したり、ヨガをしたり、買い物にも出るようになり入院前に習った食事療法を実践したり、ピアノを弾いたりと寝込む暇はなかった。

傷は内側から縫合し表面はテープで止めてるので、抜糸の必要もなかったのだが、糸が中から出て来てしまったのには驚いた。けれど、傷口が開く事もなくその部分だけはすこし目立つが綺麗な仕上がりで今の主治医OK先生に感謝してる。
さすがにビキニは着ないけど!


しかし、翌年2011年1月より服用するタイプの抗がん剤がはじまってからまた副作用との戦いが始まった。

UFTユーゼル。

4週間服用し1週間お休み、というサイクルだ・・・
またしてもとても高価な薬・・・
この時は夫に生活を守ってもらっていたからこのような治療も受けられたけど、今なら無理であろう。


副作用は点滴型抗がん剤FOLFOX+アバスチンより少ないものの、吐き気、倦怠感、お腹の調子の悪化、
そして味覚障害・・・

これが一番辛かった・・・

何を食べても化学調味料の味がして口の中がざらざらした感覚、当然化学調味料は全くとっていないのにである。

この薬は一生飲み続けてくださいと言われていたので、体の痛みよりそのことから精神的にかなり落ち込んでしまっていた。


ちょうどその頃、父の認知症が進んだのと人工透析をやらなくてはいけなくなるかもとのことで、病気を隠しているわけにいかなくなり
(親の家は温泉付きマンションなので大浴場に入らないといけないので手術したことがバレるのである)
母には打ち明けた。
父は認知症といっても初期の段階で同じ事を何度も繰り返して話す程度で色々ちゃんと理解できているので、私ががんを患ったと言う事は絶対に父には隠していたかった。


そんな日々の中、2011年3月11日の東日本大震災・・・

そして、翌月、4月17日、突然の父の他界。

大浴場サウナで倒れてそのまま息を引き取った。


結局、辛い人工透析をやることなく、ボケていたけど家族の事を忘れることなく、震災で被害にあった人たちを心配し、日本を心配して、
そして私のがんを知る事なく、
旅立って行った。


その少し前、夫が企画してくれた、「あっこ生誕50年ライブ」があった。
震災の事があり中止にするか迷ったけど、多くの人に祝っていただいた。

泣きそうなほど嬉しかった。

正直、50歳という時を迎えられるとは思っていなかった・・


ここから先はもうけもんの人生!

すべてに感謝して、夫の為に生きていこう、そう誓ったのだ。

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