第6話 甘く見ていた抗がん剤副作用
CVポート埋め込み手術と初回抗がん剤投与のために入院したのは、緩和ケア病棟でこの入院は精神的にとても辛かった。
埋め込み手術は入院2日目に行われ、傷が落ち着いた退院の日に抗がん剤の投与が始まる。
手術は部分麻酔で行われ、左上腕にポートが埋め込まれる。勇気があれば一部始終見ていられるような環境だったが、流石に怖くて反対側に顔をむけていた。
数十分で簡単に終わったのだけど、そのポートのおさまり具合にショックを受けた。
「なるべくわからないような位置にしますね」
と言ってくれてたのに、半袖のTシャツを着ても完全に見てしまう上腕外側の下の方だったのだ。楕円形の高さ1センチ弱あるポートはかなりの違和感があった。
先生の説明では、血管が細いのだから、今後色んな点滴にもここが使えるし楽になりますよ、とのことだ。点滴や採血のたびに血管が見つからず、何度もやり直したりでひどい青あざになることもあった。このポートを使って大変な点滴が簡単に安全に行われるのならば少々の見栄えの悪さは仕方ないことなのだ、と自分自身を納得させたが、その後、結局、抗がん剤以外でこのポートを使用することはなかった。
緩和ケア病棟はとても静かだった。看護師さんたちの歩く音、カートで器具を運ぶ音、お掃除の方が遠慮がちに床を清掃する音、咳払い、オムツを替える音・・・普段なら気に留めない、聞こえてこない音が重く響いていた。
終末期を迎えた方々が痛みやその他の苦痛を和らげるためのケアが行われ、毎日命が旅立っていった・・・入院したその日の夜に同室の方が旅立たれた時はショックであまり眠れなかった。ご家族の静かな泣き声。声をひそめた話し声。そして命が消えていく匂い・・・
いたたまれなくなり、日中は病室を抜け出して病院中を放浪していた。
夫には「今日は○○病棟サロンにいるよ」と連絡し、病室の外で面会していた。
夜はひたすらヘッドホンでテレビを見たり音楽を聴いたりしていた。
いつかは自分にも訪れる終末の日。その時に夫はどんな気持ちになるのだろうか。私はどんな気持ちでそれを受け入れ旅立っていくのだろうか。
その時に見たテレビも音楽も全く記憶に残っていない。
本当に長い5日間の最終日に抗がん剤投与が始まった。
朝食後、ポートから薬を投与が始まった。特に違和感はなくポートのおかげで痛みもない。ここから血管を巡って肺に転移したがん細胞にこの薬剤が届き、攻撃してくれる。とにかく良いイメージを持って治療を受けようと思ってはいるものの、破壊されていく他の細胞たち、体に副作用を引き起こす薬の強さを思うと少し恐怖を覚えた。
昼過ぎに迎えに来てくれた夫とともに、針の抜き方のレクチャーを受ける。
鎖骨下に埋め込むケースもあるそうだがその場合は自分で両手を使えるが、私は左腕に刺してあるため、夫に全面的に協力してもらい抜いてもらうこととなった。
別にたいして難しくは無い作業なのに、二人共緊張して、少しビビってしまった。
そのまま点滴のボトルを肩にさげて帰宅したが、1回目はたいした副作用も出ず、余裕だった。
これぐらいなら6クール簡単にクリアできると甘く見ていたのだ。
しかし、回を重ねるごとに、いろんな事が起こり始める。
2回目以降は病院で約5時間かけて薬を投与して、新しい薬のボトルを肩にぶら下げて帰宅し、そのまま昼も夜も点滴ボトルを身につけた状態過ごす。3日目に夫に針を抜いてもらい、抜いた針は専用の保存袋に入れて、腕を消毒してもらう。そんな流れだった。
そしてじわじわと副作用がやってきたのだ。
まず、投与が終わった後にひどい脱力感と吐き気が始まった。
髪の毛は抜けないタイプの薬と聞いていたのに、朝起きると枕が抜け毛だらけになり、シャンプーの後は排水溝が髪の毛で埋まった・・・
3回目頃からは手足のしびれ出て、冷たい水に触るとびりっと電気が流れるような痛みと痺れ襲う。
ピアノの鍵盤にふれてもビキッと刺すような痛みが走る。
そして手の指先が第二関節ぐらいから異様なほど黒ずみ始めた。
季節は夏なのに、裸足で床を歩くとびりびり刺すような痛みが走る。
だんだん起き上がることも苦痛になってきたが、そんな自分が嫌で、抗がん剤に負けている自分を認めたくなくて、必死で動こうとし、出掛けたりもしていた。
だが、目眩もひどくなってきて歩いていると倒れそうになった事もあった。
電車のホームから落ちそうになったことも。。
朝、起きれなくてベッドに横たわっていたら夫が
「大丈夫か?死人のような顔をしているぞ・・」
と言った事があった。
顔も黒ずんで、食欲もまったくないので痩せてきて、ほんとに心配な姿だったのだと思う。
4回目を終える頃には、これは、この抗がん剤で殺されてしまうのではないか、そう思いはじめたのだった。
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