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ミーティングと議事録とわたし

いまの職場でつとめて4年目。いっぱい議事録をとる経験をしてきた。A4換算するとどれくらいのページになるのだろうか笑
よくわからないけれども、こんなことに気をつけているというマイルールをのこしておきたいとふと思った。
これが、瓶詰めの手紙のようにどこかの誰かの役に立つ日がくるといいなーと願っている…は言い過ぎか。世の中の音声認識機能が議事録という仕組みを潰してくれるまで、がんばる所存ではあります笑


わたしにとっての議事録

いろんなとり方があるとは思うし、場所によっては形式が決まっているというところも少なくないかと思います。
わたしは、どうとるかというと、基本的には「箇条書きで全部聞いたままに書く!」(こんな感じ…。
なので、音声認識機能に、いつか仕事を奪い去ってもらえることを祈念している…。
どうしてそうなったかというと…

①何が大事なのかわからない…。

基本議事録というものは、結論とその周辺にあるなにか(要点とかね)が残っていればいいのかなーと思っていたのだけれども、難しい話になってくると、だんだん「何が大事なのかわからない状態」がやってくる。

②プロセスをのこす

ある程度、ストーリーのある会議なら、たぶん、さっきみたいな結論・要点方式でいいと思っていて、それだと見やすいし、わかりやすい。
でも、ストーリーを「つくる」会議の場合、あとから、微妙なニュアンスが大事になってくることがある(経験知 n=1)。「これってどんな文脈で語られたんだっけ?」「なんでこういう展開だったんだっけ?」みたいな…。そういうとき、記憶ではなくて記録が頼りになればいいよなと思ったのでした。「神は細部に宿る」ってやつですね。

③だからわたしは「全部書く」

この2つの事情から、最初は、「まず、全部書いてみよう、それから整理しよう」と思って全部書くようになった。(なので、自分はタイピング早いほうだと思う…)
とはいえ、「整理して」と(きっとみんな気を使って)言われないので、よほど大事なときは、赤字にするとかはするけど、基本的には、そのまま議事録として公開している。
ちなみに、箇条書き&タブで調整しているのが、見やすくするための最後の抵抗。

だから、わたしにとっての議事録は、そこを見れば、そうだそうだ、こんなストーリーをみんなでつくったんだったという会議の中身が見えるようなものなのです。

そんな議事録をとるときに…。

とりあえず、雑談とかも全部書くので、空気感は出ているのかなと自己評価。
もちろん、普通に要点だけを抜き出したり、グラフィックしたり、板書したりということもあるので、使い分けていければいいなあという今の思い。
こんなことに気をつけているっていうのもいくつかあって…。

①ちゃんとチェックしてもらう。

発言によっては、文字のままにするときつかったり重かったりするので、文末だけは、微量…調整する。(そのまま書くとは真逆の発想ですが…。)
だからこそ、ちゃんと、「見てくださいね」とチェックをもらう。もしくは調整・訂正してもらう(グーグルドキュメントありがとう…。)
自分だけでつくる議事録ではないからねー。

②基本的に誰の発言かは記載しない

これは、正直悩んでいて、情報共有とかのときは、記載することもある。基本記載しないというのは、誰が言ったかという責任の所在を明らかにしないほうが、安心して話せる、立場なく話せるのではないかなと思っている。だから、基本書かない。もっと深くあとで聞きたい内容のときはメモ程度に書くことはあるけれども…(例外多し)

③そこを見れば、わかるをちゃんと実践する。

例えば、板書がなされたら、そこに入れる。別資料のリンクをもらったらできるだけ貼るということには気をつけている。写真も同じ。大事なのは、できるだけ欠席した方にも同じ情報をもってもらうこと。

まとめにならないまとめ

自分がやってきたことを書くのは恥ずかしいね…。かといって、自分のためだけに記録に残すのはモチベーションにならないというめんどくさい正確なので、こうやってシェア。たぶん、もう一息レベルアップするだろうなと思うし、多様に議事録作りたいなと思う。
そのモチベーションはなんなのよと言われると、なんでなんだろうね?議事録残すことって、歴史を刻むことと似てるかなーとも思っていて。いつかヘロドトスとか司馬遷みたいになりたいみたいなのもあるのかもしれない…しらんけど…。


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