「書く」先にあるもの
例によって、「どれ、今日は、どのトップイラストを使わせていただこうかなー。今回『書くこと』がテーマだから、『作文』で検索しよーっと」
で、このイラストさんを選んだのだけれども、タイトルが"「書く」先にあるもの"
ちょっと唸った。それはそれで1テーマになるなぁって。
ということで、今回は「書くこと」についてのあれこれ
人の文章を読むこと、直すこと
ここ数日、故あって、人様の文章を読む機会をいただいている。人の書く文章って、その人そのものだなぁと思うので、私は基本的に「拝受する」気持ちで、あの、よく中国皇帝が書簡を使者にわたす感じ。「ははーっ」ってやつ。
そしてやっぱり人の書くものを読むのはおもしろいなぁと思う。わかるわかる、なるほどなるほど!の繰り返し。
とはいえ、直すことが仕事なので、できるだけ、その人の意図を崩さないように、どちらかというと、「治す」を心がけている。
整えるというか、語順を整理したり、指示語をとったりいれたり、主述の関係を揃えたり…
文章をパチパチ打ちながら、「あー、ここ、こってますねー。少しほぐしますね〜」みたいなことをやっている…。
読むのがおもしろいってのは、その人の視線でものごとを見るおもしろさなんだと思う。こういう見方新鮮だ!いいな!と。
書く先にあるもの① 〜書き手編
書き手の書いた先にあるものって、すっきり感と不安となんじゃないかなーと思う。
すっきり感というのは、わかってもらいやすい気がする。よく、「書くデトックス」なんて言うもんね。
ただ、やっぱり書いたあとに不安っていうのは(意識的にせよ無意識にせよ)あるんじゃないかなと思う。
届くのかな?とか、この書き方で大丈夫かな?とか…
そんなときに助けになるのは、読み手なんじゃないかな?と思っています。
良かったにせよそうじゃなかったにせよ、読みてにとって、どんなプラス(マイナス)になったか、読んでみてどう思ったか、何に繋がると考えたかなどのフィードバックは、書き手の勇気につながるように思うんです。
書く先にあるもの② 〜読み手編
読み手がどう受け取るかってのも大事だなぁとは思う。自分も読み手だから。
基本的に、どんな作家さんも愛しているんだけれど、一人だけ、どうしても何があっても許せないのが一人だけいて…。その人ね、ラノベ書いていたの、まあおもしろい作品で、キャラクターもよく描けていて、ほんとにすてきな作品だったの。ただ、その作者、一般小説出してちょっと(いや、映画化されるほど)うれちゃったの。そしたら、ラノベからすっぱり足を洗うことになって。で、そのおもしろい作品も許されざる最終巻を迎えたの。「おまえ、こっち畳みにかかりやがったな」とわかるような収め方で。
だから、ほんとに許せなくて、サジェストとか、絶対にされたくないから、検索すらかけるのをやめた。
自分で書いていてだいぶ女々しい…。
いけない、いけない。
今になって思うけど(今も赦していない)
読み手として、キャラがぞんざいに扱われるのが嫌だったんだろうね…。そう、だから無意味にキャラが死んでしまうとかもほんとにやだ。物語のエッセンスとして死なせてはだめだろうと…。(の割にはミステリー小説好きだったりするから困る。)
エラリィ・クイーンが、「九尾の猫」で問題提起?したけど、第二次世界大戦後、ミステリーの世界も変わりはじめて、「果たして、そう簡単に登場人物を死なせていいの?」問題がでたみたいなことを有栖川有栖さんがどっかに書いていたような…。
この文も相当読みにくい(書き散らかした)文章になっているな…。
もとに戻ると、受け取り手は、書いてあることからいろいろ読み取ろうとするから、書き手もそれにあわせた心意気で書かないとな〜というところ。
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