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夏越の祓と潮禊 六角ノ井の井戸替え    吾妻鏡の今風景36

夏が来れば流行り出す…夏バテ、疫病、食中毒~。
 
 酷暑といえば夏の土用。夏の土用とは、立秋前の約18日間。土用入りは理科年表の記載によれば太陽黄経117°に達した日、現在の暦で7月19日頃。二十四節気の大暑に入る数日前。そして、立秋(現在の暦で8月8日頃)の前日までが夏の土用となり、立秋を迎えると土用明け。平安、鎌倉時代の頃の暦は平気法で作成されていたので、太陽黄経は問題にはならなかったが、夏の土用の入りが大暑の数日前であったことはだいたい同じ。
 
 夏の土用とは、高温多湿でカビが生えやすく、疫病感染や食中毒の要注意期間。現代のように水道設備が整っておらず、冷蔵庫などない時代には、もちろん、飲み水にも気を付けなくてはならない。

 鎌倉十井(かまくらじっせい)の1つ、六角の井。小坪にあり、保元の乱(1156年)で敗北して伊豆大島に流された為朝が、鎌倉に向けて矢を放ったところ、その矢がこの井戸に落ちた!と言い伝えられる井戸。伊豆大島から鎌倉まで直線距離で約60km。事の真偽は置いておくとしても、井戸の中には為朝が放ったとされる矢の鏃を竹筒に入れたものが祀られているそう。かつては井戸替えのたびに、この鏃を収めた竹筒を換えており、つまり定期的に井戸をメンテナンスしていたわけで、今でいうなら水道の浄化槽の清掃のようなもの。
 井戸替えは井戸の大掃除、江戸時代には旧暦七月七日の七夕に行われていた年中行事ですが、そもそもは夏の土用の終わり、つまり夏越しの祓で行われる禊の一種だったのではないでしょうか。


六角ノ井。今はもう使われていないようですが。六角というけれど四角、中は八角なんだそうです。なぜに六角ノ井?住居のむこうはすぐ海。

平安時代から鎌倉時代にかけて、夏の土用の最終日、つまり立秋前日には禊を行いました。これが「夏越の祓」。現代ではグレゴリオ暦の6月30日に行ってしまうようですが、かつては立秋前日に行われていた行事であったのです。
 「風そよぐ 楢の小川の 夕暮は 御禊ぞ夏の しるしなりける」、立秋前日の夏の終わりの夕暮れ、下賀茂神社で禊をしました、という歌で、この歌を詠んだのは従二位家隆、藤原家隆(ふじわらのいえたか)、後鳥羽上皇に和歌をお教えした人だそう。

 「六月(みなづき)のなごしの祓する人は 千とせの命延ぶ(いのちのぶ)といふなり」は、『拾遺和歌集』に収録されている唱え歌、神社の夏越の祓に参加すると唱和する歌です。六月(みなづき)とはもちろん旧暦六月、ただし節月だから、二十四節気の小暑と大暑の期間。つまり、夏の土用を含んでいるのが旧暦六月で、従って、旧暦六月は禊の月ということに。


忍野八海近くの池みたいなところで。きれいな水を眺めているだけでも、禊気分にはなりますが。

禊とは、汚れを水で洗い流すことで、水垢離。川に入って汚れを落とす、水をかぶる。海水浴も禊の一種で、平安時代には潮禊と呼ばれていたそうです。そういえば、由比ガ浜は、今でも潮禊の人たちで大賑わい。といっても、厄祓いではなく、暑気払いのようですが。

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