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天下の奇祭:忌宮神社 数方庭

下関市長府の忌宮いみのみや神社は仲哀天皇の九州親征の仮宮である豊浦宮とよらのみやの跡といわれます。
熊襲を率いる大将塵輪じんりんを仲哀天皇自らが弓で討ち取るとその周囲を得物を掲げて勝利を祝って踊り回ったのが数方庭すほうていの始まりと言われます。
元禄時代に入ると刀剣を掲げて舞うのが禁じられ、竹竿を使った幟が用いられています。
大正時代に孟宗竹に真竹を継いで30mもの長さにした大幟おおやが考案され現在の形式になりました。
女子や幼児が持つ切籠から子供用の幼幟、高学年以上の中幟、若手以上の大幟と全年代が参加できるようになっています。

太鼓が3種類叩き分けられ、始まりを示す「上り」から鬼石を回り始める「抜かし」、大幟が出るころには「本太鼓」になります。
ある意味では数方庭の主役である「鬼石」は下の囲いの中にある石です。

この上に太鼓を据えます。
ところが「鬼石」割れています。

ある祭りが行われなかった年に地震があり鬼石が割れ、以後は祟りを恐れ規模を縮小することはあっても祭事は継続されています。
その意味では戦勝祝いから鎮魂に変わってきたといえそうです。
祭りを仕切るのは武家屋敷の惣社町(惣社組)と商家の金屋町(金屋組)で交互に2回、計4回同じ手順で進められます。

祭事は毎年8月7日から13日で神事は19時半からです。

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