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亡き夫の愛情を思い出せるようになった〜グリーフ

2023.5.19
夫の1周忌だった

夫を看取り、ひとり暮らしになり大きな役目や責任や病気の夫を常時心配していた緊張や不安な事がなくなって、ようやく2020.3に逝った次男の事の悲しみと静かに向き合えるようになった。

それまでも、28才で逝った次男の未来が無くなった事の切なさや、母として自分の子宮で芽生えた命を世に送りだし、ようやく自立しようとしていたその分身を失った喪失感との闘いや、次男ともう会えない悲しみや....

色々な事にどう自分の気持ちを持っていくのかを
考え、自分で自分の心を癒す方法に気づいたりしながら日常を過ごしてきた。

でも、他に切羽詰まった事が無くなって、初めて本当の意味で自分の奥深くの悲しみと向き合う事が出来た。

もう いつ泣いたっていいし、何時間泣いててもいいし、しっかりしてなくたっていいし、何にも出来なくなったっていいんだ。

そう思いながらも 自由な時間が沢山あることの
贅沢さに感謝出来て、長男への愛情をも改めて認識し、私の心は鎮まり、落ち着いていた。

ひとりで淡々と暮らすことで、外側からのストレスが無く、自分自身の心との会話をいつもしていて
心地良く過ごす事だけを考えていた。

そんな1年だった。

そうしたら...
ようやく?
夫が元気だった頃、夫があの人らしくいた頃に
私の事を考えてくれて、してくれた事を次々と
思い出すようになった。

要するに、病気になってからは私にとっての夫は
心配のタネであり、守る相手であり、何も期待出来ず、してあげるばかりの存在だったけれど、そうなる前は、とても頼りになり、一緒にいて楽しかったし、一緒にいたい存在だった。

仲良しだった事を、思い出した。

それは ひとり暮らしになり1年経過して、やはり
孤独を感じる事があるからだ。

今、この世で私の事を1番に考えてくれる人が
いない事


夫は元気な時も病気になってからも、自分の事の次にいつも私の事を思ってくれていた。

病気になってからは、私に依存していただろうけど
それもある意味、1番私を思ってる人だったと言える。

若い時、同じ会社で知りあい、社内恋愛だった。

結婚して子供が2人生まれて、それでも夫は私を
1番に愛してくれていた。

休みの日はいつも一緒に行動したし、幼い息子達を
連れて公園や海や山やテーマパークや遊園地や...
色々なところへ連れて行ってくれた。

夏はキャンプと海水浴
冬はスキー

子供達が中学生になった頃から部活があったり
夫の仕事も多忙を極めるようになり、段々と家族揃って出かける事が、減って行った。
私も収入を増やす為に仕事に割く時間を増やしていくようになった。

それでも

子供達が高校生になった頃、休みの日は夫婦での
時間がとれるようになって、夫の仕事もたまたま
少し余裕がある時期だったのだろう。

教育費にお金がかかっていた時だったので
経済的には余裕がなかったから、贅沢は出来なかった。

だからだったのだろう。
夫は日帰り温泉をあちこち調べて、私と一緒に車で
行くようになった。

確か、毎週では無かったけれど、
今度はココに行ってみよう と言って、山の中の
温泉に行き、帰りは眺めの良いピザハウスに連れて行ってくれて、緑の中のテラスで焼きたてピザを
食べたっけ。。

幸せだった

色々心配な事はあったけど、日常的な誰しもが経験するような些細な心配事だった。

あの頃も夫は私の事を考えてくれていたのだなあ。
夫婦ふたりで一緒に休みの日を楽しく過ごす。
お金は無かったけど、細やかな平和な休日を
過ごしていたなあ。。。

夫はずっと私の事を思ってくれていた。

最近、ようやく、亡き夫が注いでくれた愛情を
思い出せるようになった。

介護の苦しい日々の思いから解き放たれたのかもしれない。

両親以外の人から愛されていた実感は
やっぱり 亡き夫だけだ。

"亡くなってしまうと、良いことばかりを
思い出す"

と言うことを良く聞くけれど

私もようやく
そうなれたのかもしれない。

ありがとう。

そして、心身共に回復して来た実感がある私は、
体力にも自信がついて来たからこそ、
これは、、私は、、直ぐには死なないぞ。
長生きするかもしれない。
どうしよう。。90とか100とかまで生きたら
どうしよう。。
80才としてもあと20年弱はあるわけで、
90才となると30年弱もある。。

それまでずっと、ひとりでいるのか?

と、、

ひとり暮らしで長生きする事への
不安が湧いて来たのである。。。

それについては、又 ぼちぼち書いて行く
ことにします。

読んで頂きありがとうございました😊

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