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IMW「マスター先生が来る」見てきた(少しネタバレあり)

はじめに

タラパティ(大将)ヴィジャイさんの特集を現在進行形で上映している、インディアンムービーウィークの特集週。


度々話題になっているマスター先生が来る、ようやくチケット取れたので初鑑賞してきました。
実はタミル民の宝ヴィジャイ・セードゥパティさんが出ているのを当初知らなくて、先日のインド大映画祭でのヴィクラムとヴェーダー以来気になっている俳優さんなので、なんてベストなタイミング!平日だろうが行くぜ!となったのです。
ダブルヴィジャイさんの競演作、もう見る前から期待爆上げ状態ですよ。


冒頭、『タラパティ(大将)』の文字にもうテンション上がりますね。
この間のマジックもそうだけど、入りからワクワク感が凄い。
皆んなの大将!主人公〜ドーン💥って感じで画面いっぱいに文字が出るにいいな。
か〜ら〜の、『タミル民の宝ヴィジャイ・セードゥパティ』の文字に、感情の洪水が。
そうか、タミル民の宝💎……いいなぁその肩書き?というか通称。


ここから感想(ネタバレ少し有)

そして本編。
のっけから火事のシーン🔥
震えながら座り込む少年に、三人の大人が取り囲む。
殺されそうになる少年は、猶予をくれれば稼いだ金を貢ぐからと命乞いをし、やってみろとチャンスを与えられる。
彼は大人たちから日々暴行を受け続け、ろくに食事も与えられない境遇となるが、力をつけてやがてたたかれてもびくともしない体躯に育つ。
もしや主人公の過去編かなと思って見ていたら、どんどんしたたかに成長していって、最終的に顔を上げたらセードゥパティさんになった瞬間「わー貴方でしたか」ってなった。
ここで理解。もう一人の主役だ、と。
成長した彼・バワーニは人を襲ったり、頭をつかって少年たちを犯罪に加担させて、その地域でのし上がっていく。
人は義理人情ではなく金で動くという信念のもと、自分の基盤を固めるには権力が必要と考える彼は、自分は直接手を下さず、他人を次々に葬っていった。

キネカ大森のポスターより


一方、とある大学。生徒には慕われ、先生たちからは厄介がられる教授、ここで大将が格好良く登場。
でもアル中気味の主人公JD。
過去の傷をかかえて眠れなくなった影響で、アルコール依存になっているとのこと。
色々あって、大学内での騒動の責任をとる形で3ヶ月の休職扱いに。
その間に、なぜか本人の知らぬところで少年更生施設の教師として赴任することに決まっていた。

軽犯罪もしくは冤罪で更生施設に入れられた少年たちは、施設の職員(監視員?)からは暴行を受け、ギャングからはさらなる罪を着せられ、延々とその場所から抜け出せない地獄。

しぶしぶ厚生施設の教師としてやってきた主人公は、(アル中なので)常に人の話を聞かず、暴れまわる生徒たちをたしなめ、授業ではなく彼らと踊って過ごし初日を終えた。

今まで派遣されてきた教師と何かが違う、助けてくれるかもと期待を託したとある兄弟が、酩酊している主人公のポケットに手紙を入れ、その日の夜に犯罪から逃れたくて何度も(ギャングから盗んだ)スマホで彼に連絡を取ろうとするが、酔いつぶれていた彼は電話に出ることはなく、外部と連絡をとっていたことがばれた二人はギャングに殺されてしまう。

翌日、教室の天井からつるされた兄弟の二人を見て、主人公はようやくこの施設がどういったところか知ることになった。

これがあらすじ。

この施設に彼を派遣したのが、実はヒロインだと判るんだけど、彼の許可なく(酩酊中に)勝手に彼の筆跡をまねて、施設の教師になるための書類手続きをすませていたって話。
大学教授として生徒たちに慕われていた彼に期待して、ヒロインが勝手に起こした行動なんだけど、いくら主人公が酔っていて兄弟の訴えに気付かなかったという非があるとしても、事情も話さず勝手に施設に放り込むのはあまりにもかわいそう。
しかも少年二人の母親の前で、彼を非難するのも、ちょっと違うと思うんだよな。
せめてきちんと事情を説明しておけば。

そして少年たちの死をきっかけに、禁酒を近い、翌日から彼は施設にテコ入れを始める。
ヤクや酒は没収。
法律上18歳以下の子供に暴行を加えることはできないため、彼らの監視員をたたいて「彼らを更生させる気あるのか」と荒療治。
大人複数人をたちまちやっつける図に、少年たちは彼に従うようになっていく……。



主人公とヒロインは、少年たちを集めて、今まで施設でどんな目にあっていたかなどをビデオに記録していく。


しかし少年たちの中でもボス的存在のグループがあって、彼らが施設内のトップとして少年たちを犯罪に誘導していたので、彼ら以外は、ギャングとの接点がなく、ギャングの正体を突き止められない。
犯罪に加担させられている事実を証言させても、ギャングが誰かを追求できない。

少年たちの証言を集めたビデオを(裁判所?)に届けるため預かっていたヒロインが、街中で襲われるが、施設内の少年の機転でなんとかビデオを相手に渡すだけで、彼女の命まではとられずに済む。

そして今度は主人公が、ギャングの行がかかった街の店舗を次々とつぶしていき、バワーニに反撃を行う。

バワーニは、JDと違い、感情的にはならず、冷静に彼の大学の生徒たちを襲っていく。
生徒たちは互いに連絡をとりあうが、連絡のつかない生徒は……。

本当に、バワーニ容赦ないです。
しかもキレて反撃するのではなくて、冷静に情報をあつめて、JDに対して何をすると一番苦しむかを知っている。

個人的には、主人公とヒロインよりも、大学生の方のとあるカップルが良い感じだったのでそっちがもっと見たいと思っていただけに、彼らが不幸に会うのは見ていてつらかった。

ところどころにお約束要素とコメディ要素多少あったりするものの、基本的にJDとバワーニの二大対立。

後半のアクションシーンで、大学でのシーンで出てきたアーチェリー?の彼女が出てきたところが非常に胸熱展開だった。

最後は、JDとバワーニのこぶし対決。

この映画もまた見たい作品になりました。


おまけ

物語のハラハラ感もそうなんですが、スター映画の主役俳優と、ツテを持たずに下積みから演技力でのしあがってきた俳優の二大共演ってところが、日本人にも刺さるし、テンション上がると思う。
見た目じゃわかりにくいんですが、セードゥパティさんの方が年下なのね。
映画の日本公式サイトのコラムのコメントがまたすごくグッときました。


対照的な2大スターの競演

本作のオープニングでは、まず主演のヴィジャイの名前が“大将(Thalapathy)”の通称と共に現れる。直後に、全く同じスタイルでヴィジャイ・セードゥパティの名前が“タミル民の宝(Makkal Selvan)”という通称と共に現れる。ロゴには、作中でヴィジャイが演じるJDのテーマカラーである青、ヴィジャイ・セードゥパティが演じるバワーニのテーマカラーである赤があしらわれている。これは、劇中でのJDとバワーニ、そしてヴィジャイとヴィジャイ・セードゥパティが完全に互角の存在であることを表していると言えるだろう。オープニング・クレジットで主役と悪役がこれだけ対等に扱われるのは、インド映画では実は珍しいことだ。ヒーローが最終的に勝利するのはインド娯楽映画の決まり事だが、その枠組みの中で悪役を最大限に力強く描くことに心を砕いたと、ローケーシュ監督は後に語っている。バワーニ役のキャスティングにあたって、ローケーシュ監督はヴィジャイ・セードゥパティが最適と考えていたが、ニューウェーブ系のクリエイティブな作品に主演する彼に悪役をオファーすることを逡巡していた。ヴィジャイもまたオファーが受け入れられるかどうかについては悲観的だった。2人が他の俳優を検討し始めた時、どこからか話を聞きつけたヴィジャイ・セードゥパティ自身から「ともかくストーリーを聞きたい」と申し出て、監督との面談の後に出演を承諾したという。こうして最凶の悪役が誕生した。インド:タミル語映画界の頂点にいるヴィジャイが、同じタミル語映画界でも異なるカテゴリーの人気者であるヴィジャイ・セードゥパティに配慮をしたという珍しいエピソードである。ヴィジャイはプロジェクトがスタートしてからも、全てのポスターに「大将ヴィジャイ+タミル民の宝ヴィジャイ・セードゥパティ」が必ず並置されるようにと指示を出していた。

https://spaceboxjapan.jp/master/
マスター先生が来る 
 日本公式サイトより

やはり同じタミル映画界で、次代を担うスターであっても、ジャンル違い(?)の相手に対するきっといろんな思いはあっただろうから、この共演は本当何度も見返したい。
監督さんは最初から、主人公と対等の位置である悪役ポジションをセードゥパティさんにお願いしたかったけれど、それまでの彼の作品の系統から躊躇していたみたいなところからの、でも最終的に勝手にあきらめずに縁がつながって出演が決まったというところ、本当に良かった。
(ダメもとで一度は打診してみればいいじゃんとか個人的には思うけれど、向こうには向こうの事情や環境、周囲との関係性など、一言ではいえない状況があっただろうから。)
ゲスト俳優としての配慮というよりは、対等の立場として常に対比させるような形ですすめていったというのもいい。

圧倒的な光(シャクティ)の存在のタラパティ、
光も影も秘めたタミル民の宝・セードゥパティ。

先日のヴィクラムとヴェーダといい、悪役もこなすセードゥパティさんにますます目が離せないです。

かつての圧倒的主人公を、スター俳優が一人演じて、その共演者に過ぎないという展開ではなく、2大主人公を据えての超大作という展開、
ここ最近作成されたインド映画だとちらほら出てきているのかな?
それって製作者側、監督さんとかも若い世代が増えてきて、海外の映画を見聞きして、スターの競演という映画つくりに抵抗がなくなったもしくは新たな可能性を見出した、ということならいいなぁ、などと。
もちろんお約束のスタイルも伝統として残すのは大事だし、根付いた宗教を大切にしていくことも大事。
ただそれ「だけ」にとどまらないことで、世界に展開していってくれれば、この先、日本でも定期的にインド映画を見られるようになる流れが、少しは希望が持てるんじゃないかと。
日本はどうしても、アメリカでヒットした映画という肩書に弱いところがあるので。どうしてもそこを基準に、宣伝しがち。
欧州の映画ももちろんあるけれど、どちらかというとそれは「その層のファン」のために映画を配給しているといった印象を、前から受けている。
配給会社が買い付けてきて、あらゆる世代に届けたいって宣伝しまくる海外の映画って、いまだにハリウッド映画が多いという印象。一時期よりはだいぶその偏りはなくなってきたとはいえ……。

配信サイトで言語を海外に設定すれば、もしくは海外配信サイトに契約すれば、日本に居ながら色んな映画は楽しめるけれど、やはり日本語字幕があってこそ話をちゃんと理解できるので、日本での上映、これからも期待しています。