失敗とは
たぶん、いつからか。
後輩にアドバイスするとき、
自分の犯した失敗から、
自分が学んだことを、
自分で勝手に編集して、
自分の良き教訓として、
人に語っていた。ような気がする。
でも本当は、その時沢山の人を傷つけて、悲しませて、迷惑をかけたその全てが「失敗」であり、自分がその全てを受け入れた時に自分の「失敗」になり経験になり、自分の「教訓」になるのかも。と思った。
そう思うと自分はまだまだ「失敗」は少ない。むしろ自分で勝手に編集した「思い出」だけだ。
そうゆう世の中の先輩は案外多いのかもしれない。
というわけで、世の中の説教の半分は思い出で出来てる。
のかもしれない。
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