見出し画像

こつこつ ゆっくり 人生フルーツ①

・夫 津端修一さん(90)
・妻 津端英子さん(87)
60年連れ添ったご夫婦のリアルな生活を写したドキュメンタリー。それはとても質素で勤勉で温かで豊かだった。

言葉は少ないが互いが互いの存在をとても大切にしていて尊重していることが伺える。”やりたいことばかりやっている夫に、尽くす妻”と見る人もいるかもしれない。けれど、英子さんは決して自分が犠牲になっているなんて思っていない。「主人には、きちっとした物を着せ、きちっとした物を食べさせる。そうして旦那がよくなれば、巡り巡って自分もよくなる。」が信条。その成果か、「あれこれやってみたい」って言うと(夫は)「やってみなさい」って言ってくれるのよ。と英子さんは笑います。ちゃんと自分がやりたいこともやっています。

妻は「死」について時々考えると言います。「そんなこと考えても仕方ない」と話す夫に、妻は「私が先に死んで夫が一人になったらどうしよう」と続けます。無償の愛の境地です。そしてそんな妻のことを夫は「僕の最高のガールフレンド」と呼びます。互いを思いやる気持ちは一方通口ではありえないのです。

雑木林を作りたいという夫の夢に寄り添って、二人はその雑木林で育てた70種類の野菜と、50種の果実を作り、限りなく自給自足に近い状況で暮らしています。夫は「なんでも自分でやってみると見えてくるものがあるんだ。できるものから、小さくコツコツ ときをためてゆっくり。」と語ります。妻も「お金は残せないけど土が残る。」と語ります。コツコツと二人で作った豊かな土が何よりの財産だと知っているのです。二人は同じ夢を見ていたのです。そんな二人の関係もとても美しい。

ある日、畑仕事の後に昼寝をしたまま、夫は突然旅立ちます。妻は、夫をねぎらい、一人で頑張って生きることを告げ、さらにあの世で待っていてと遺体をさすります。夫をひとり残して自分が先に死ななかったことが誇らしげでもあります。なんて美しい夫婦愛でしょう。

夫がいなくなってからも妻は夫の分のご飯も作り、いままでと同じ暮らしを続けます。「いままでなんでも夫の言うとおりにしてきたから、何でも自分の好きなように出来るようになったら、なんだかむなしいの」と少し元気がなさそうにも見えますが、それもつかの間、「いままでは夫がやってたから私はやったことないの」と笑いながら障子の張替をします。夫の言葉どおり、なんでも自分で、こつこつ、ゆっくり。

こんな生き方が本当に出来るんだなって涙がこぼれます。
二人で寄り添って暮らしてきたけれど、二人は互いに依存心などありません。互いがなくなったら生きていけないなんて弱音は吐かないのです。
人は一人で生まれ、一人で死ぬ。そんな自然の摂理に二人は知らない間にごく自然に到達していたのでしょう。そんな二人にとって、もはや生も死も恐れるものではないのです。きっと妻はこれからもコツコツと生きるのです。

この映画を見て、人間らしい生き方がしたいと思ったのは私だけではないでしょう。誰かにしあわせにしてもらおうとか、あれこれやってもらおうと考えると、いつだって誰かに依存して、うまくいかないことは誰かのせいにしてしまいます。自分で生きる強さがあって初めて、誰かを幸せにできるし、巡り巡って自分も幸せになれるんだと二人が教えてくれた気がします。

誰かに必要とされるだけで、人は幸せになれるのかも。必要とされる人になること、これがしあわせの近道であり、人間らしく生きることで生も死も全うできるのかも。そんな風に生きたい。二人のようにストイックには出来ませんが、できることは、こつこつと。

40年あれば更地に雑木林ができます。40年あれば必要とされる人間になれる、二人のような絆を作ることができる、ということは二人が証明しています。平均寿命が80を超える現代で、40年はまだ折り返し地点です。まだまだ生き方を変えられる、つまり今からだって必要とされる人になれるはず。

たくさんの人に見てもらって、たくさんの人が幸せになって欲しいと願わずにはいられない。とてもいい映画でした。是非DVD化して欲しい。何度でも観たい。


(この記事は2017.03.13にキネノートに記載した記事をそのままNOTEに転載したものです。)

先日、数年ぶりに同映画を見る機会があり、また違った気づきがありました。次回はいまのわたしが感じたことを記そうと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?