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「なぜ自分の子供は可愛いのか」を考える

冒頭に申し上げておくが、この記事は単なる親バカで自分の赤ちゃんがかわいいということが言いたいわけではなく、なぜそう思うのか?を客観的に考えた内容である。とはいっても実際に親バカの要素は少なからずあるので、目をつぶっていただきたい。

第一子の誕生

2020年4月に私たち家族に待望の第一子が誕生した。結婚5年目ということもあり、そろそろ欲しいなと思っていた矢先、妊娠したと妻から聞かされた時は非常に嬉しかったことを覚えている。実は生まれたのは緊急事態宣言の出された後ということもあり、出産後の対面は叶わず、会えたのは1週間経った時である。

1週間後、久しぶりの妻に抱えられた息子と初めて会った。宇宙人のような顔をしている。じっとこっちを見つめている。なんか不思議な気分であるが、とりあえずかわいいと思った。この時私はわからなかった。自分のこの感情はなんなんだろうと。

なぜかわいいと思うのか?

まず私が子供を見て感じる事実を列挙してみた。

美しい顔ではない。語弊があるが、顔の構造が私が好きな清野菜名や川口春奈といったような整っているわけではない。
 →顔の構成や配置でかわいいと感じるわけではなさそう。
・ミニチュアで動いている姿が奇妙でかわいい。
 →小さな手足をもがいている姿に心が揺さぶられる。
・丸顔である。
 →確かに童顔はかわいい。
自分がいないと生きられない
 →これは赤ちゃんというよりは自分の子供という意識からくるもの。弱い存在だから守ってあげたくなる。
・30代になり心の変化があった
 →次の世代への期待という側面ももしかしたら感じているのかも?
・悪意がない
 →純真無垢。だからいくら排泄物を漏らしても許せる。
・たくさんの感情表現
 →大人が見せてくれないものを見せてくれる。
・パートナーが喜んでいる
 →周囲の幸福

何かを考える時はこのようにいつも思いついたことを列挙していくのが私のスタイル。何か少し見えてきた気がする。

人に愛されるキャラクターの条件

1. 人は小さくて丸いものが好き。そしてかわいさというのは見栄えだけからくるものではない。
2. 自分と近いもの(親近感)と自分と遠いもの(不思議)が共存するものに人は興味をもつ。

こんなことから、キャラクター作りの王道が読み取れる。数年前にゆるキャラブームがあったが、ゆるキャラも結構奇妙な風貌をしているものに人気が集まったりしていた。人間らしくない姿と人間らしい姿が共存することで、魅力を高めていたのではないか。

責任感が愛着を生む

自分に似ていると自分とのつながりを感じさせる。自分の子供が可愛く映るのは、きちんと子孫を繁栄させる意味でも生物学的に自明であろう。この子は自分が育てなきゃいけないと思えば思うほど、子供に愛着が湧いてくる。

これは仕事も同じことがいえる。仕事に対して責任が伴えば伴うほど仕事に対する思いが強くなり高パフォーマンスを発揮することができる。これは私が後輩指導をしていた時に常に感じていたことである。

悪意がない存在は貴重な存在

このように書くと自分が周りを信じることができない人間だと思われるが、サラリーマンとして生きていく中で本当に信頼できるパートナーなんてそれほど多くない。新入社員の時に、先輩から「みんな自分のことしか考えていない。あまり信用しすぎない方がいい」と言われたことがある。その時は悲しい気持ちになり、否定的ではあったが、営業を数年やっていれば裏切られることもあり、先輩が伝えたい意図はわかる。

その中で赤ちゃんは間違いなく行動に裏がない。その上で豊かな表現をたくさんしてくれる。これは普段の生活ではなかなか出会わない存在である。このように悪意がないことが明白であれば、人間はその人に好感をいだく
信用がキーとなる時代だからこそ、今後の人付き合いにも良い示唆を与えてくれた。

周囲の幸福は自らの幸福

これは私特有かもしれないが、妻が喜んでいると私も嬉しい。片親だったら子供のかわいさも半減していただろう。子供がかわいいということにプラスしてその感情を妻とも共有できていることが大切なのだろう。子供を鏡に妻をみている。

これは仕事に置き換えると、個人の成功よりもチームの成功の方が嬉しいと感じることと似ている。単純な成果に対して喜んでいるわけではなく、その成果に対して喜ぶ周囲の姿がその成果を何倍にも魅力的なものにしているのだろう。

以上が私なりの赤ちゃんが可愛い理由である。なんでかわいいのかを深掘りすると、人から愛されるものを作るヒントを与えてくれそうだ。私はこの子から今後もたくさんのことを教わりそうだ。

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